アートレビュー | 発電パフォーマンス 盧子涵 (ルウ・ツーハン) 《在消逝之前,能不能喜歡我?(消える前に好きになってくれる?)》
「悲しい時は走れ、エネルギーを使い切ればもう寂しくない。」※1
失恋を想起させるようなタイトル《在消逝之前,能不能喜歡我?(消える前に好きになってくれる?)》は参加型のパフォーマンスである。芸能世代(Artenergy Generation)の盧子涵 (ルウ・ツーハン)がアートディレクションを務めたこの作品は、台中国家歌劇院の春のプログラム『NTT Arts NOVA』の新進気鋭のアーティスト枠で、2023年5月に7回公演された。このプログラムは、以前は『NTT -TIFA』として知られていたものであり、2023年からはダンス、演劇、ニューメディアなどの分野を超えたコラボレーションによる作品のほか、没入体験や劇場参加などさまざまな角度から鑑賞できる実験的な試みを取り入れた作品を公演している。
このパフォーマンスは歌劇院の最上階の奥にある、演劇ホールではないスペースで公演された。開演するとパフォーマーの持っているモーター付き懐中電灯の光が一点を灯す。「ジージー」という音が小さく鳴り、30人ほどの観客は真っ暗な大きなスペースへ誘導される。真っ暗闇の中で、モータ音が鳴り響く、照らされていた小さい光のおかげで、5分もすれば目が慣れて会場の全貌が薄ら浮かび上がる。壁から天井にかけてゆるやかなカーブで覆われている部屋は白い洞窟のなかにいるようである。※2
観客は白いスポットライトが点滅するほうへ吸い寄せられ、銀色の円形の布が敷かれている前を囲むように移動する。誰かひとりが座りだすと自然と全員腰を下ろす。ライトの先は裸足の足が布のヘリをゆっくりなぞる。スキンヘッドの女だ。女は這うように円形の中央へ移動する。女が動くとその振動に合わせて、すぐ横に立っている四角い蛍光板パネルが緑色の小さい光をスパークさせる。女はのっそり立ち上がり、その場で走り出す。光がスパークする。女が飛ぶ、緑の光が着地と同時に散らばる。女が激しく動けばスパークは強く散りばめられ、振動が小さければ、光も小さくなる。女が倒れる。倒れた瞬間光は広がり、そして消える。吐息の音だけ会場に響く。
照明や音は、人力で発電させている。ルウは国立中興大学材料科学工学部と共同で「発電板」のインスタレーションを設計した。これは、グリーン・エネルギー参加の国際的な流れであるゼロ・カーボン・エミッションに応えるサステイナブルな身体発電パフォーマンスである。
部屋の中央には大きな木琴、その上にはアーチ型の照明器具が設置されている。私たちは薄暗い中、照らされるライトに誘導される。木琴のポロンっという音が鳴ると、パチパチと光が点滅する。木琴の手前には2つの四角いステージがあり、どこからともなくパフォーマーが現れ緩やかに体を絡ませながら、ステージの上を這いつくばる。彼女の体とステージの表面が重なる度に、ステージ下に設置されているL E Dライトがカラフルに光る。動きに合わせて、光っては消え、光っては消える。木琴のメロディーが徐々に加速するなか、彼女らの動きも早くなる。
ピークを迎える瞬間、木琴は爆音となり、ピカッと光が強くなり、あんなに真っ暗だった部屋が当たり一面はっきりと見えるようになる。そこからパフォーマーは狂ったように踊り出し、観客をひとり、またひとりと手を差し伸べステージの上にあげる。誘導された観客は不思議とダンサーの動きを真似して、狂ったように動き出す。
私のところにも来た。手を差し伸べられると素直にその手をとりステージ上に立ってみる。ステージ上に立つと、皆が動いているので、少し恥ずかしい気持ちもありつつも周りに合わせ足をジタバタしてみる。暗い中なので隣の人がどんな人なのかもわからないまま、皆が手を繋げば私も繋ぐ。不思議な感覚である。これは同調圧力なのか。同じ動作をすることで、周りと一体化でき、なぜか安心感につながる。決して止まってはいけない。止まれば光が消えてしまうのだ。走れ、走れ。爆音の中、何を目的なのか、この発電に何の意味があるのかあまり理解せずに走り続ける。人生ってもしかしたらこういう感じなのかなとぼんやり思いながら、身体は動く。
パッと音が止まり、私たちも動きを止める。照明が明るくなり、拍手とともに現実世界へ戻る。隣にいた人の顔をちらっと見てみるが、あの時手を繋いだ人とはまるで別人のような感じがした。相手はどう思っているのだろか。
近年、このような参加型のパフォーマンス・アートは国内外で多くみられるようになっている。台湾のパフォーマンス・アートは、1980年代半ばに起こった小劇場運動をはじめ、多様化していった。舞台、役者(パフォーマー)、観客の関係性は変容し、劇場参加型の作品など領域横断的かつ実験的な試みが多くみられるようになった。台湾のパフォーマンスが革新したのは1980年代の「小劇場運動」が始まりであると言われている。劇場の改革の立役者でもあるワン・モーリン(王墨林)はパフォーマンス・アートの観客の立ち位置の変化について述べている。「演劇は、社会生活を反映するものから、社会生活に介入し、その一部となるものへと発展してきた。 観客は、演劇を観ることから演劇に関わることへと、その活動に直接参加するようになる。」(※3)
《在消逝之前,能不能喜歡我?(消える前に好きになってくれる?)》では、自分の意思よりも、周りの環境の影響で身体が動いているという不思議な体験をした。しかし、自分の意思とは何だろうか。私たちの身体は、社会、文化、政治によって、自分の立ち位置や役割によって、演じわけているのではないだろうか。発電すること。それは私の目的ではなく、誰かが目論んだ仕掛けを無意識に自分の役割と認識して、演じてしまったのではないだろうか。
※1 在消逝之前,能不能喜歡我?(消える前に好きになってくれる?)》の副題。
※2 歌劇院は家伊東豊雄が設計したことで有名なオペラハウスである。
※3 ワン・モーリン (王墨林). 都市劇場と身体 (都市劇場與身體), 2. 稲郷出版社:台北, 1991.