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操られ人形(ショートショート)

私の父と母は、小さい時から宗教を信じていた。沢山の本の中で暮らしていた私は、その宗教を信じて疑わなかった。

「神様は私たちが幸せになるように、操って下さっているんだよ。燈花もそうだ。燈花が何か思っても、何か行動したとしても、神様が全部決めてその通りに動かしているのだからね。」
「神様に感謝しないとね。私たちは神様の下でひとつなのだから。」

大きくなるにつれ、私の周りには本がさらに増えていった。たまに家にはニコニコしたおじさんがやってきて、両親と話した後、お父さんが私に飴をくれた。
「これはね、神様に繋がり続けるための飴なんだよ。あのおじさんがいつも売ってくれるから、私たちのご先祖さまとも繋がっていることができる。」
その飴は透き通った水色で、不思議な味がした。

そんな私が初めてこの宗教の教えを疑ったのは、中学生の頃だった。
クラスメイトは私に気をとめず、私もみんなと距離をとって生活していた。神様がそう行動しろって囁いているように思えたから。

家に帰っていつものように神様に感謝し、本を読むという時、ふと「マリオネット」という題名に目が止まった。小さい頃は手が届かなかったのだし、全くそんな本があるだなんて知らなかった。その本は絵本でとても薄かった。私は今日はこの本を読もうと思い、手に取って揺れる椅子に座った。

『子供たちは小さな枠を覗き込む。マリオネットが躍り出て小さく手を上げお辞儀した。「やあ皆さんお待ちかね。私はマリオネット、マリーゴールドという者。」』
『手に光る糸、子供は気づかず見続ける。憂いも悲しみも消え、残るは愉快なマリオネット。』
『操られ立ち上がる子供たち。クルクル踊って町中に、お腹も空かず楽しそうに。』
『残された感情なきマリオネット、だが心は留まる。操られたいという気持ち、ただ一心に。』
『「ああ神よ、糸を引いて操ってくれ。子供達と同じように楽しいことをさせてくれ。」毎日毎日そう叫ぶ。ではそう叫ばせるのは、何者?』

「お父さんが言うように、私には幸せになるように糸を引いてくれる神様がいるはずだ。」
声に出して言ってみる。なぜか体は震えていた。
「でも、私の手には糸なんかついていない。私がすることは、本当は私が決めていたの?」

高校生になって、私には気になる人ができた。
目が合うと、吸い込まれそうになる。家に帰っても彼が頭の中を離れない。
「燈花、最近変だよ」
半分笑いながら友達が言う。
あははは、と私は笑い返したけれど、内心は不安で一杯だった。
(神様、どうして上手く操ってくれないの?これはどういうこと?)

そんな時、その子から私は告白された。一度私を見た時から気になっていたのだと言う。
「燈花のこと守るから。」
そう言って笑う彼に、私はいつの間にか頷き、恋人になっていた。
毎日が楽しかった。彼と笑い合い、ふざけ合って、一緒にいる日々が続いた。

それでも私は、操る神がいないことに恐れ、操られたいと思っていた。
最近舐める飴は味を感じなかった。
(どうして自分ですることを自分で決めるの?自分自身が考え、自分が判断するなんて、もし失敗でもしたら。もし取り返しのつかないことをしたら私のせい?)

ある日彼は「どこか行こう」と言って私を呼んだ。その日は宗教の行事があったけれど、私は躊躇わず彼のところに行った。

彼のところに行くと、彼はニコニコ笑いながら私に糸をつけていった。少し怖くなって体をよじると、彼は私を押さえつけた。
「僕は幾度も燈花を操ったんだよ。感情を操り、視線を操り、行動を操った。でも君は他の誰かに操られようとするんだね。僕は許せないな」
手に糸がつき、足に糸がつき、体が小さくなっていく。恐怖がすぐに消えて、愉快な気持ちだけが残され、他には何も感じなくなる。

「やあ皆さんお待ちかね、私は操られ人形、マリーゴールドという者。」
手と足をブラブラさせながら今日も私は踊る、空っぽの心のまま。神に操られ、人に操られながら。



こんにちは、彗星です。
普段こう感じることがあるんです。「あれ、もしかして操られてる?」って。
集団で同じ行動するときはもうその行動をしている人の意思なんて関係ないですし、運というのは自分が決めたものではない。
あと、広告をみたらそちらに関心が向くように、意図的に私たちの周りの情報が操られていたりします。

そこには真に私たちを操っている何かがいるのかもしれませんね。