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1歳児の笑顔のために植え込みの葉っぱを食べた話

わたしは自他ともに認める綺麗好きである。

そもそも、わたしの母親が、わたしを8人束にしても敵わないくらい綺麗好きなのである。

実家のリビングの床は、そのまま巨大な鏡として使えるくらい毎日ぴかぴかに磨くし、雨の翌日にはベランダの窓だって徹底的に拭き上げる。

窓ガラスがあまりに透明すぎるため、通り抜けられると思い込んだトンビが思いっきり激突した話は、我が家ではいまだに語り草だ。

ちなみにそのトンビは、ぶつかった衝撃で完全に気絶したのだが、わたしが母親を呼びに行っている間に飛び去っていた。

よその山から来たトンビですらうちの母親が怖いのである。

そんな、綺麗好き界のヴォルデモートたる母親が支配する実家で20年以上生活した結果、わたしもまた、綺麗好き界のベラトリックス・レストレンジとしてすくすくと育っていった(ハリー・ポッター分からない人すみません)。

本来ならシェアハウスに住めるような人種ではない。

そんなことは自分でも分かっていた。

ただ、こんな、いろいろな意味で無菌室のような実家にいても先が知れている。

母親の掃除したリビングのTVでYouTubeを見ながら、母親がラップをかけていった昼食を食べ、父親のd払いを乱用して生きていく。

そして、あーお金ないーとかあー家しんどいーとか言いながら、細く長く小説を書く日々を50歳くらいまで続ける。

そして、母親が亡くなって冷蔵庫の作り置きがなくなった1週間後(人間、飲まず食わずでも1週間くらいは生きられそう)くらいに息絶えるのだ。

いや、違うな。まだ父親のd払いがある。d払いが使える店でご飯を買ってくることにすれば、もうちょっと寿命は伸ばせる。

冷蔵庫の作り置きと、d払い。 この2つがなくなった1週間後にジ・エンド。

見える。下手なインチキ占い師よりもよく見える。

この見えすぎな人生に革命を起こさねばならない。

そうでなければ、冷蔵庫の作り置きよりd払いより先にメンタリティが枯渇してしまう。

そんな危機感から、20代最後の夏、わたしは「すいまーる」の門を叩いた。

しかし、すいまーるの敷居を跨いでからわずか3時間で、わたしは入居を後悔することになる。

バスマットが汚すぎたのである。

第一、この、ムックの体を彷彿とさせる質感のマットは、絶対にバスマットではない。

おそらく玄関マットとしての使用を想定して作られている。

その長い毛足が幾多の人間と幾多の日々の水滴を吸い込み、もったりとした湿り気を帯びていた。

もし、そういう特殊な機械を通して見たならば、きっとバスマット周辺の空気が黒くおどろおどろしく映ったことだろう。

大学時代の寮生活を思い出した。

今よりもう少し衛生意識の低かった当時、1日数百人が毎日踏みしめるバスマットの上に臆することなく立ち続けた結果、わたしは齢20の女子にして水虫を発症してしまった。

そういう大変に不名誉な過去を、わたしは決して忘れるべきではない。

あのときの羞恥を糧とするならば、このバスマットには絶対に触れるべきではない。

無菌室出身のわたしを絡め取ろうとする不衛生の罠は、他にも家じゅう至る所に散らばっていた。

怒涛の掃除とハウスルールの設定、毎日1時間のクリーニングタイムにより大方の罠は徐々に消滅していくが、わたしは徐々に、自分が本当に戦うべき相手を悟る。

すいまーるの主、すい(1歳)である。

わたしが約30年の人生で培ってきた衛生観念など、その30分の1しか生きていない児子に通じるはずがない。

主は、おむつ替えの最中に反転してわたしのロンTに鮮やかな色の排泄物を付着させ、よだれでべとべとの指で摘まんだボーロをわたしのお茶に浮かべ、洗ったばかりの真っ白なタオルをキャンバスにクレヨンでお絵描きをなさった。

数々の試練をこの家来にお与えくださるたびに、わたしは、自分がすいまーるにやってきた理由、そしてあの夏の日の初心を思い出すことができた。

主、すいによって、わたしは少しずつレベルを上げていった。

いや、脱皮していった、と言ったほうが正しいかもしれない。

すいとともに笑い、すいとともに泣き、すいとともにお昼寝する日々を積み重ねることで、わたしはそれまでまとっていた「汚い」という感覚の鎧を1枚1枚剥ぎ取られていった。

う〇ちもよだれもクレヨンもどんとこい。
もう怖いものはない。
そう、わたしは生まれ変わったのである。

――いや、まだまだだな。

すいからそんなメッセージを受け取ったのは、とある春の朝だった。

夏の終わりには抱っこしただけでギャン泣きだったすいは、秋を跨ぎ、冬を越え、ついにわたしを「どうやらずっとこの家にいるらしい人」として個別認識してくれるようになった。

わたしのスニーカーを玄関に揃え、ヒップシートをぶら下げたわたしの手を引き、わたしとのサシ登園にも積極的な姿勢を見せる。

現時点で両親に次ぐ第3位につけているのは間違いない。

すいのチーフ家来としては嬉しいかぎりである。

2人で仲良く手をつなぎ、歌なんか歌っちゃったりしながら保育園までの道のりを歩く。

最近のすいの流行りは、道端の草や葉っぱを1枚ずつちぎり、道路の側溝に捻じ込んでいくことである。

植え込みを見つけてはよたよたと立ち寄る。

うんうん。今日もかわいいなあ。

草を抜くときの勢いで尻もちをつきそうになる。

うんうん。べらぼうにかわいいなあ。

それから、葉脈と張るくらい細い指で摘まんだ葉っぱを、「はっぱ!」と高らかに宣言しながら排水溝に――。

うんう…ん?

主よ、なぜ、わたくしの目の前に葉っぱを?

よくご覧になってください。わたくしは排水溝ではありませんよ?

目をぱちぱちさせながら固まるわたしと、生えたての乳歯を見せて満面の笑みを浮かべるすい。

痺れを切らしたすいが、こうするんだよ! というように、葉っぱを口にくわえた。

なるほど、そりゃ、葉っぱは食べるに決まってますよね。当然ですよね。

わたしはなんて物分かりの悪い家来なんでしょう。

いやはや誠に申し訳ない。そんなことも分からないなんて、わたしはチーフ家来失か……

え、食えってことでございますか? 葉っぱを?

理解が追いつくより先に、わたしの目の前に、わたしのための新たな葉っぱが差し出される。

いやいやいやいや!

葉っぱは食えんて!葉っぱは!
だって葉っぱなんだもん!

いやね、例えば、すいがよだれまみれの手で摘まんだボーロとかはさ、もともとはボーロという食べ物やったわけやん?

それならまあ、状況によっては食べるという選択肢もないことはないかもよ?

でも葉っぱは、そもそも食べることができるものとして作られてないわけで――。

などという言葉が、1歳児の通じるはずもない。

わたしの一番の武器であるところの「言葉」を捨てて、捨てて、捨てて……

最後に残ったのは、葉っぱをくわえてこのうえなくごきげんなすいの笑顔だった。

この笑顔を守りたい。そう思った。

わたしは固く目を閉じ、そして、葉っぱを食べた。

わたしは、葉っぱを、食べた。

粘膜だけは。どうか粘膜だけは――。

葉っぱがそれ以上口腔内に進入しないよう、舌をはじめとする粘膜に絶対に触れないよう、上唇と下唇に力を入れた。

この1枚の葉が耐え忍んできた雨水や、甘んじて受けてきた鳥たち排泄物の香りが鼻腔に抜けていった。

母親の支配する実家で生活した20余年の日々が、走馬灯のように頭を駆け巡る。

あの日、実家の窓ガラスに激突したトンビ。あのトンビが、今、わたしがくわえているこの葉っぱにフンを落としていったかもしれない。

そんな可能性さえ想像させる自然の雄大さ、そのロマンに想いを馳せる。まさにバタフライエフェクト。

とあるしがない人間が生きてきた人生と、名もなき1枚の葉が過ごしてきた悠久の時が、そのとき、1つの帯のように重なった。

聴こえてきたのは、儚くも美しいハーモニー。

わたしの胸に、熱いものが込み上げた。


拝啓、お母さま。

早春の候、お母さまにおかれましてはいかがお過ごしでしょうか。

お母さまに、ひとつ、ご報告がございます。

あなたの娘は今日、野草を食べました。

野に生える草と書く、あの野草です。

お母さま、どうか娘の不義理をお許しください。

それでは、お元気で。

敬具


綺麗好き界のヴォルデモートたる母に「そんな子に育てた覚えはない」と言われてしまえば、それはそのとおりである。

しかし今、わたしを育てているのは母ではない。すいという1歳児である。

すいの子育てに参加することですいに育てられる第2のわたしは、この先、どんな人間になっていくのだろう。

第1のわたしとしては、ただ楽しみに見守っていくのみである。

ただ、あまりにも「綺麗」「清潔」のラインを下げてしまうと、このシェアハウスでのわたしの存在意義が半減してしまう。

このままここに住み続けることが許される程度の掃除力と衛生観念は死守していきたい。

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