絵解き東遊記(1)
■絵解き東遊記 前書き
『東遊記』とは、有名は八仙のことを描いた物語で、『東遊記上洞八仙伝』『八仙出処東遊記』などとも呼ばれる、明代の神怪小説です。明代の人で、多くの本の編集や出版にかかわった余象斗により、「四遊記」のひとつに入れられています。
このnoteでは、『新刊八仙出処東遊記』(国立公文書館蔵)のイラストを使って、『東遊記』のあらすじを紹介しようと思います。
八仙というのは、日本でいう七福神のような八人の福の神様です。
メンバーが入れ替わることもありましたが、『東遊記』が書かれた時代あたりからは、ほぼ一定になりました。
その八人とは、李鉄拐、鍾離権(漢鍾離)、 呂洞賓、張果老、藍采和、何仙姑、韓湘子、曹国舅で、『東遊記』では、李鉄拐を首としています。
『東遊記』では、八仙のそれぞれについてが語られ、また海を渡って龍王と戦い、天界を巻き込む大騒ぎとなる話が語られます。
■絵解き東遊記 その1 李鉄拐
李鉄拐は姓を李、名を玄といい、鉄拐というのは仮の身に後からつけた号である。
先生は、生まれながらに凡人とは異なっている。その姿は堂々としていた。若いころから大いなる道を慕い、富貴も功名も心を迷わせる毒と嫌い、真の道を修めようと親族や友に別れを告げて、太上老君(老子)を求めて華山に向かった。
華山に着いた李玄は、二人の童子に迎えられた。
二人の童子は、李玄を太上老君と、宛丘という弟子のところに連れて行った。
李玄は二人に拝礼し、悟りを得たいと懇願する。
老子は道について説く。宛丘から、名前がすでに仙籍(仙人の戸籍簿)に載っているから焦ってはいけないと言われ、ひとまず李玄は、二人と別れて華山を後にする。
■絵解き東遊記 その2 借屍還魂
李玄は、住まいの岩穴に戻り、太上老君と宛丘の言葉を深く考える。
ふと、祥光がさしたので散歩に出て、空を見あげると、鶴に乗って、太上老君と宛丘がやってきた。
太上老君は、西域諸国をめぐりに行くのに李玄を同行させたいと言い、十日後に霊魂だけで来るようにと約束して去った。
十日後、李玄は弟子の楊子を呼び、老君との約束があるため、魄(からだ)を残して遊魂となって華山に向かうと伝える。そして、七日の間、体を守り、もし七日たっても帰らなかったら体を焼くようにと告げ、静かに座って魂だけ抜けだしていった。
弟子は、魂が抜けて死体となっている李玄の体を日夜休まず守っていたが、六日目、母危篤の知らせが来る。師匠の魂が戻らないため、弟子は、説得され、やむなく薪を積み油を注いで李玄の体を乗せ、祭りを行って焼いてから、母の元に帰ったが、母はすでに亡くなっていた。
李玄の魂は、老君に従って西方の国々を巡り、三十六洞天に遊び、数日のうちに老君から道について多くを学んだ。そろそろ帰りたいと言うと、老君は笑って、偈を残した。
穀を避けて殳を避けず 車は軽く踣(たお)れてまた熟す
旧い形骸を得たいと欲し まさに新面目に逢う
李玄の魂は七日目に戻り、体を探したが、髪の毛さえ残っておらず、弟子もいなくなっていて、積まれた薪から暖気と煙が上がっていた。
体が焼かれてしまったことに気づき、弟子が約束を違えたことを恨んだが、遊魂は行き場を失った。
泣いてあちこちさまよっているうちに、山のほとりで餓死した死体をみつけた。
老子の言葉を思い出し、この体こそが自分の新たな姿なのだと悟り、依るところのない魂は、その死体に入って起きあがった。このため、髪はぼうぼうで、垢だらけ、足を引きずって歩くという姿となった。
仙人となってよみがえった先生は、手にした竹の杖に水を吹きかけて鉄に変化させた。
人々は先生の名前を知らず、鉄拐先生と呼ぶようになった。
先生は弟子の母が亡くなり、自分の体を守っていたために弟子が親の死に目に会えなかったのは自分の責任だと思い、鉄の杖にすがり、背に瓢箪を背負って弟子の家に向かった。弟子は激しく泣き、自殺しかねない様子であった。
鉄拐先生は弟子を止め、瓢箪から起死の霊丹を取りだし、水に溶かして弟子の母の口に注いだ。すると、母親は生き返った。
鉄拐は弟子にも丹薬を一丸渡し、母を看取り修養するように告げて去る。二百年後、弟子は鉄拐とともに昇天する。
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