人参を生で食べて、気付いたんだけどさ
20時から昼寝を初め、起きると深夜1時。お腹がすいたので、冷蔵庫を開ける。きゅうりが腐っている。捨てた。
人参が残っていた。
洗って、ピーラーで少し剥いて、このまま食べよう。
なにも毎日、こんな生活をしているわけではない。自炊は時々している。下は私の料理チャンネルだ。時々投稿をしている。
ただ、今日はお腹がすいている。何かを口に入れたい。
さぁ、生で食べてみよう。
「ムシャ」
固い。
ツイキャス配信をしながら食べたのだが、「おいしそうな音がする」とコメントで言われた。実際は、「固い」が感想の8割だ。
ただ、味わってみると、人参の本来の味というのが分かってくる。
よく考えてみれば、人参を食べるときはいつも汁物に入れられているか、細くスライスされているかで、”人参の味”というものを味わったのは、実質初めてかもしれない。
やってみて、良かったと思った。
しかし、さすがにこのままでは食べきれないので、茹でることにする。
これで、感想のほとんどを占めている「固い」は無くなる。
できあがった。
ドレッシングをかけて食べた。いつもの癖と勢いでかけてしまったが、かけずに食べればよかった。
もちろん美味しかった。しかしそれは人参ではなくドレッシングが美味しかったのかもしれない。次はちゃんと柔らかい人参を味わおう。
さて、今回の経験から、”すべての野菜を生で食べてみよう”という発想に至ったわけだ。
野菜は、調理すれば美味しくいただけることは、誰もが知っている。それと引き換えに失うものは何か。
手間と時間だ。
何かを料理するときに、一品で行うことは多くない。大抵、肉、野菜、調味料を買ってきて、それを一定の割合で混ぜたりこねたり焼いたりゆでたりしながら、ようやく完成する。
例えば、非常にお腹がすいていて、目の前にきゅうりと人参とキャベツがあるとしよう。ここで普通なら、「これらを使って何か調理しよう」となる。
しかし、よく考えてみると、その時の目的は「お腹を満たす」ことであり、「美味しいものを作る」ではない。
さらに考えてみると、そのままかじろうが、頑張って調理しようが、同じだけ食べるならエネルギー摂取量は同じである。
ここで一つの結論に至る。
”野菜を生でおいしく食べれる人は、幸せである”
理由は、上に述べたことをまとめなおすと、
・調理する時間を大幅にカットできる。
・調理する手間(労力)を大幅にカットできる。
ただしここでは、料理をすること自体に幸せを感じる人を除いている。
この結論を見て、次のように言う人もいるだろう。
「野菜ってそのまま食べてもおいしくないじゃん」
はたして本当にそうであろうか。これは私の主観だが、”野菜をそのまま生で食べてみる”という行為をしたことのある人は、それほど多くないように思っている。
野菜は、数多く存在する。そしてその中に生で食べて美味しいものがあるかもしれない。しかも、自分自身はそれを試したことが無い。さらに、野菜は高価ではなく、やろうと思えばいつでもできる。
つまり、あなたは今後の人生、幸せになれる可能性を大いに秘めているのだ。
また、それで失敗してもそれで良い。私は、今回の人参に対して「固い」という感想を抱いた結果、「じゃあ茹でればいいじゃん」という方向に行った。
切って茹でた時間は5分ほど。つまり5分で腹を満たせたのだ。何かしら時間に余裕が無いのであれば、硬いままムシャムシャいっても良いし、少し時間に余裕があるのであれば、他の野菜も一緒に茹でたりしてもよいだろう。まだ余裕があるなら、何かしらの調味料を加えたり切り方を変えてみても良いだろう。
いつかは私も、工夫の末、気付けば何かしらの”美味しいもの”を生み出しているかもしれない。
こうして”料理”という文化が生まれたのだなと思った。
そこから料理に興味を持つも良し、早く終わらせて自分のしたいことをする生活をするもよし、自由である。
この記事を読んで、「野菜は調理するのが当たり前」という固定観念を少しでも拭って、時間を大切に、そして柔軟に、生きていけることを願ってやまない。