埋もれた将棋名作ルポ『ライターの世界』(1)全7回
(作家湯川博士の埋もれた名作『ライターの世界』を掘り起こす、第1回)
これまで湯川師匠の2つのルポを取り上げたが、この3つめはちょっと毛色がちがう。前の2つは哀愁漂う旅行記の感だったが、今回はそれらに比べ、いくぶん実用的な内容。将棋ライターの、それもひと時代前の実情が書かれている。書き物に携わっている、あるいは関心を持っている人が多いnoteではいいかと思い、採りあげてみた。
まず、タイトルの下の「マクラ」はこうだ。
将棋が一般に広まるにつれ、将棋の本もずい分出回った。著者は名人、タイトル者、そして八段、九段がほとんど。しかしプロの一流棋士はご存知の通り、試合が過密な上、対談、講演、招待と大忙し。とても原稿用紙に向かうひまはない。
雑誌の原稿はほとんど口述筆記。分量のある棋書は、ライターに頼み、あとで目を通す作り方が一番多い。こうなると、将棋ライターの役目こそ大きく棋書のあり方に影響すると思うのだが、現実はどうだろう。
棋書とは、将棋の上達本のこと。勉強で言うところの参考書のようなもの。身体に覚え込ませる野球やサッカーとちがい、イメージではなく本の内容をまったく同じに盤上で進められるので、スポーツよりボードゲームの方が本の役割が大きいだろう。
その棋書を執筆するライターのことを、このルポでは採りあげている。一般的なライターと、かなりちがう部分があるのだ。
湯川師匠も棋書を何冊も作っている将棋ライターなので、もちろん本人の考えも入っている。ただ、ルポなので、一歩引いてインタビューしたライター達の言い分を多くまとめている。
最初の小タイトルは、『ライターの代弁』
ライターの代弁
はじめにお断りしておく。出版の仕組みをご存じない方は、
「エッ、〇〇八段著ってなっているけど、あれ本人が書いてないの。ずるいよ、そんなの。読者をだましてるんじゃないの」
と、おっしゃるかもしれない。著者というのは、物を書き著す人だ。ところが物を書く作業は、たいへんなことで、一人だけではできない場合がある。そこでその人の名前において出版されたものも、著書としているのが、通例になっている。だから、口述筆記などは本人が書くのと、ほとんど同じに見ているし、何人かのチームでやった仕事に自分の名前を冠するのも認めている。
たとえば、ぼう大な資料を要する作家などは、アシスタントを使っているし、マンガ家もそうだ。アシスタントの役割がどの程度かは、大きな個人差があろう。マンガをアニメ化する場合などは、原作者はほとんど加わらない。タレント本の多くは、口述筆記または、ライターの代筆だ。
翻訳の世界でも、〇〇教授役著だが、実際は助手が執筆し、教授は目を通す程度が多い。これは若い助手を育てる意味もあるし、実際、原稿執筆という肉体労働には、若い馬力を必要とするのである。
棋書(戦術書をいう)の場合は、おそらくごく一部の例外を除いて、9割くらいはライターの手になるものと思っていい。再び質問が来そうだ。
「どうしてプロは書かないのか。忙しい先生はわかるとしても、そうでない人まで、ライターが書くのはなぜか」
この質問に対して、某出版社の担当者は即座にこう言った。
「将棋の先生は物書きじゃないですから。そこへ行くとライターの方はプロですから。こちらの注文する方向で〆切りまでにピッタリと書いてきてくれます。字も読み易いですし、文体も平易。将棋の解説も初中級用にわかり易く、頭に入り易く書いてくれます」
筆者も単行本専門の出版社にいたが、いわゆるその道の専門家(大学教授も含む)の原稿にずい分泣かされた思い出がある。専門書以外のふつうの出版物は、ふつうの人に読まれるために出すのである。だから、ふつうのレベルでいいし、ふつうの表現で書いて欲しいわけだ。
ライターの代弁はこれくらいにして、さっそくライターの実態に迫ってみたい。まずどういう人がやっているか。
○専業者 = ごく少ないが、ビッグスターの専門ライターになっている場合が多い。
○観戦記者と兼業 = 無名のころからのつきあいもあるし、観戦記だけでは食えないのでやっている人もいる。観戦記者として一流になるにつれ、やめる人が多いようだ。
○アルバイト = 棋士、編集者、記者、アマ強豪など。
現在は、単行本のほとんどは編プロやゴーストライターが書いていることが知られているが、このルポが書かれた1980年代中期などさほど知られていなかっただろう。
師匠は棋書の9割がライターの手がけたものと書いているが、これは一般のものもそうだろう。お手伝いやサポートまで入れたら、9割9分ではないだろうか。
以前ブックコーディネイターの内沼晋太郎さんのB&Bでのトークイベントに行ったとき、内沼さんが、「本を書くときにゴーストを使う」と言っていた。内容をゴーストに口述してザッと書いてもらって、それを添削するようなカタチで本を作っていく、というような説明だった。内沼さんでもゴーストを使うのだから、9割9分はあながち異端な意見ではないと思う。
ゴーストを使うと聞くと、「書けない人」と捉える人もいるかと思うが、実際は逆だ。どこを端折れば時間の無駄なく文章が完成するか分かっている、むしろ手練れの書き手なのだ。一流の建築家が、自分でビケなど張らないのと同じことだ。
ぼくも単行本を出すとき、出版社の校正とは別に、知り合いのライターにお金を払って校正してもらった。ライターはまったくの外部だから、広い意味ではゴーストだ。
棋書は、文章の構成だけでなく、棋力も必要となる。しぜん、書き手の少ない分野となる。
(2)につづく
書き物が好きな人間なので、リアクションはどれも捻ったお礼文ですが、本心は素直にうれしいです。具体的に頂き物がある「サポート」だけは真面目に書こうと思いましたが、すみません、やはり捻ってあります。でも本心は、心から感謝しています。