勝手に名乗っている弟子
ずっと前の将棋ペンクラブ関東交流会のとき、「んっ」と、いきなり紙片を手渡された。
紙には3冊の本のタイトルが書かれていて、ようは、それを読めということだ。noteを使っている方々は読書好きが多いだろうが、人に勧められた本はなんとも面倒だ。音楽なら「ながら聴き」ができるが、本は「ながら」が利かない。読む間、確実に時間を取られるのだ。
このときも、面倒だと思った。しかし紙片の主は、ぼくより一回り以上年長の、大手婦人誌の副編集長さん。受け取らないわけにいかない。
「読めってことですか?」
と、ぼく。字面からみなさんが印象されるよりは、丁寧に言っている。
「そうですよ。勉強になるからね」
と、副編集長。婦人誌を手掛けているだけに、物腰やわらかい話し方。しかし部下を束ねている立場の人だけあって、有無を言わさぬ響きもある。
「じゃあ、ま、文庫化されてるものだけでも」
そう言って、紙片をポケットにしまった。
「それなら、これは間違いなく文庫化されてますよ」
副編集長が指したのが、西村賢太の本だった。『苦役列車』ではかったが、そこで彼の作品を初めて読むことになった。新刊に疎いので、本読みなのに彼の名前も知らなかったのだ。
特に好きな作家ではないが、その後も何故かこういったことが続き、結局ほとんど読んでいる。友人が絶賛していたり、ぼくのバッグに間違えて本を入れてしまったり、酔っぱらって押し付けてきたり。その都度、せっかくの縁だからと、読んだ。
また、ぼくは『本の雑誌』が世の中で最も好きな雑誌なのだけど、そこで西村賢太が連載を持った。『本の雑誌』の書き手なら、追わないわけにはいかない。さらに、彼の書いたものに目をとおすようになった。
読んでいても、それほど賛同も共感もできなかったが、一点、藤澤清造に対する彼の行いには共感した。
彼は、とうに亡くなった私小説作家、藤澤清造を勝手に師と仰ぎ、弟子と名乗り、墓参したり作品をだいじに飾ったりした。また、藤澤作品を編集して世に出したりもした。
ぼくも、作家湯川博士の弟子を勝手に名乗り、作品を(これは本人に断っているが)掘り起こして発表している。
湯川師匠はまだ生きているので墓参こそしていないが、ある種マニアックな作家を仰ぎ、そして担ぎ上げるというところは、同じなわけだ。
彼が藤澤清造作品をこよなく愛し、一般の目に触れられるよう行動したように、ぼくも湯川博士作品を少しでも多くの目に届くようにしたいなぁという思いがある。
もっとも湯川作品は、まだまだ本人自身が増やすだろうが。
ところで、ぼくの友人で「デヴィッド・ボウイと西村賢太ファン」の男は、西村作品の中で藤澤清造のくだりだけがイヤだと言っていた。作品に対する人の思いはマチマチだ。