自分の機微に寄り添う100日ドリル 6
さて、今日も書いてみよう。
昨日は2週間ぶりに畑の労働へ。2時間、春菊の定植。背中や腰がイテテだが「身体動かして働いたった!」という爽快感がある。労働は一日2時間くらいが私にはちょうどいい。一度家に帰って娘と一緒にお昼。(このへんに夫とのケンカのタネが隠れてるのだ)
久しぶりによく晴れたので、お茶会に出席の予定だったが、まずヤギたちの散歩に出る。3.40分草をはみはみ、満足したら小屋へ帰ってのんびり座る。こっちへ寄ってきたら、ワシワシタイム。頬のあたりを爪を立ててワシワシしてやるととても気持ちよさそうにする。かわいい。2匹をじゅんばんこにワシワシしてたらまた30分くらい経ってた。
お世話することにせわしなくしてしまう時もあるけど、ゆっくりヤギたちと無言のコミュニケーションをするひとときはものすごく落ち着く。
私は、「気持ちいいか~い?」なんて日本語で語りかけることもするけど、ヤギはメェ。って言ったり言わなかったりする。ってことは、「気持ちよさそうにしてる」かんじがするなあ。「お腹いっぱいになった」かんじがするなあ、ってかんじを、ヤギの機微をかんじようと、私は自然にこころを傾けてるかんじ。赤ちゃんを育ててるときもそうだったよなー。
おしめかな?おっぱいかな?って、日本語での意思疎通ができないから、どうやってかんじてるのかな。人っぽい喜怒哀楽を共通言語と思って推し量ろうとしてるのかなー。
ヤギや、赤ちゃんには、そうやって全身で機微をかんじようとしてる。
でも、大きくなってきて言葉を話すようになった子どもたちや、夫には、「言わなきゃわからないよ!」っていつもイライラしちゃう。
言葉だけじゃない、かんじて、コミュニケーションすることを、、、いや、めっちゃかんじてんねんけどな、なんか、そのかんじたことを、相手が私にもとめてるかんじを、めっちゃ出し惜しみしてしまうねん。そういうとこあるねん。家族に対して。私、私を気前よく差し出されへんねん。。
やさしくないなあ。私はなんでこんなにやさしくないんだ!なんでこんなにひどい奴なんだ!お前なんか母も妻も家庭の人も失格やーー!!
これは自己否定ですね!出ました!
坂口恭平『自己否定をやめるための100日間ドリル』にもあったように、私は自己否定がやってくるのを少し待ち構えているところがありました。見つけたりー!
step2『自己否定を書き出す』に着手。確かに、こんなひどいこと、他の人にはいったことないよね。やさしくない、とかひどいよ、とかは夫に言ったことはありますが、父としても夫としても家庭の人としても失格だ!!なんてことは言いませんね。たしかに。そんなこと思ってないもんね。どーしようもなくてケンカするけど、よくやってくれてると思うし、感謝もしてるし、尊敬もしてる。
なのに、自分に対してだと、ちょっと勢い余ったかんじもあるけど、やさしくない、ひどい、からスムースに「失格」までいっちゃったもん。迷いなく。こわいこっちゃ。
最近自己否定ないなーと思ってたけど、家族に対して自分を気前よく差し出せない自分をかんじたとき、こうやって心の奥で自分を嫌ってたのかもしんない。だから、夫の言葉に瞬間湯沸かし器になっちゃうのかもしんない。自分の嫌いな部分をほじくられたようで。うーん。
まあ、この「かもしんない」があまりエスカレートしすぎると事実や現実や真実とかけはなれていっちゃう「かもしんない」ので、断定はせずに、かもしんないで止めつつ、研究材料として慎重に扱おう。
ふー。まだ時間はあるけど、いったんおわり。
ヤギ散歩からこういくとは。
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