自分の機微を掬い取る100日ドリル 3
さて、今日も書いてみよう。
昨日のハッピーな記録と違って、今日はあまり好ましくない出来事に関する機微を見つめてみる。夫とケンカ?言い合いになったのだ。
坂口恭平『自己否定をやめるための100日間ドリル』収録の『鬱日記』には、奥さんであるフーちゃんや子どもたち2人に対する日常のイライラ、優しくいれない時の心境なども赤裸々に書かれている。他人には、家族仲良くいつも楽しそうに暮らしているように映る中でも、あたりまえといえばあたりまえに色々ある。その色々と自己否定は関係している。
「昨日のJ家の色々は、こんなかんじでした」と要約して記してみようと思ったけど、ちょっとやっぱり抵抗を感じた!その抵抗は何だろう。
機微を掬い取れ!
自分の未熟さゆえに招いた些細なこじらせを晒すのが恥ずかしい、と考えているようだ。じゃあ「未熟」っていったい何を指してるのだろうか。
「大人として未熟」?「母として未熟」?「妻として」?「家庭の人として」?「女性として」?「人間として」?
うーむ。じゃあ大人として、母として、妻として、家庭の人として、女性として、、人間として成熟した人ってどんな人なんだろうね。私はそれをどうとらえているのだろうね。。
これは、何か到達すべき地点が、正解があると思い込んでいるようだ。未熟であっては恥ずかしくて、特に「母として」「妻として」「家庭の人として」あたりに「こうであるべき」思考があるような気がする。
なんだか「大人として」「女性として」「人間として」あたりに関する自己否定は薄くなってるようなかんじがある。こっちのほうが大きな枠なのに不思議だね。
大人として女性として人間としては自分のありのままでいれるのに、母として妻として家庭の人としては自分のありのままでいれないって考えてるの?感じてるの?ドキドキするの?行動しようとしているの?
おお~~機微を掬い取るドリルっぽくなってきたぞ!!
そんで自分で未熟だと思って恥じている部分も。大人として女性として人間としてありのままでいようと行動することで、未熟で恥じている部分も薄くなっていきそうな、そんな予感をもってワクワクしている今なのに、、
夫の声掛けによって、、「母として」「妻として」「家庭の人」としての未熟さを突き付けられて、、気力が落ちて、、なんでそんな邪魔するのよ!!あんたのせいで!!って怒ってしまってるんかな。
ほんと、瞬間湯沸かし器のように、感情が?感覚が?ガーンとアップセットする。普通でなくなる。子どもに対してイライラっとするときもそんな感じかもしれない。
でも、それって、夫のせいでも子どものせいでもなくて、自分のせい、でもないよ。誰のせいでもない。ちょっとだけ自分にとってやりにくいやりかたで覚えちゃってるだけ。そういうふうに覚えちゃったことも責めすぎちゃあいけないよ。今できることをしたらいいだけ。大人になった私は、小さなころにやりにくいやりかたで覚えたんだってことに気づいたら、てへぺろして、やりやすいやりかたでやりなおすように意識していくだけなんじゃない?
たぶんね。おわり。
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