『どうせいつか死ぬんだから。』がなりたい私をつくる。
今まで当たり前にいた母が7年前、亡くなった。
母はそのまま普通に年を取っておばあちゃんになるもんだとなぜかずっと思ってた。
だけど現実は違った。
命は無限ではないと気がついた。
霧がかった日々。
私はぞくにいう社会不適合者である。
正社員として働けたのはたったの1か月。
母にも「こんな子に育てた覚えはない」と言われるありさま。
生きていてごめんなさいと思いながらも、人並みに恋愛はし、結婚することができた。
だけど毎日なんだか満たされず、仕事も続かずモヤモヤする日々。
その時の私はこんな考え方をしていた。
仕事は全力でやるもの。指示されたこと+αをやるの当然。
出来ないことも出来るようになるまで努力する。
頑張ることは当たり前。
0か100。白か黒。
これでは続くわけがないと今の私ならわかる。
途中でガス欠してしまうのだから。
仕事はずっとしんどいし、結婚できたけどなんだか満たされない。
霧がかかったような日々を過ごしていた。
そして雨が降る。
母が亡くなった。
私はなぜだかずっと『母はおばあちゃんになるまで生きる』と思っていた。
だけど、母はおばあちゃんになることなく亡くなった。
そしてやっと気がついた。
命は無限ではなく、有限だということ。
そして、自分もいつかそうなるということに。
気づけば雨は止んでいた。
それから私の考え方は変わっていった。
『霧がかかったようなモヤモヤした日々を過ごし続けて死ぬのは嫌だ』と思うようになった。
同時に『どうせいつか死ぬんだから、今までチャレンジしなかったことにチャレンジしてみよう』と思うようになった。
私たち夫婦は仕事を辞め、引っ越しをした。
心機一転というやつである。
晴れ間がみえて、芽が出はじめる。
それからいろんなチャレンジをし続けて今に至る。
体をあんまり動かさないPCを使う仕事はしたくないと思っていた私が今では、PCを使ってデザインの仕事をしている。
人生って何がおこるかわからない。
だからこそ、チャレンジしがいがある。
そして今も絶賛チャレンジ中。
雇われの在宅ワーカーとして3年間やってきたが、今年の6月から自分で仕事を取ってみようと一歩踏み出してみたのである。
なりたい私になるために。
今回はクスッと笑えるような小話ではないけれど、私の脳内をアウトプットするのに思ったことなどをこれからも書いていきたいと思っているので、また読んでくれたら嬉しいです。
では。