小川糸『今日の空の色』を読んで
最近、小川糸さんのエッセイを読んだ。
著者の見て触れている世界を追体験できるような、素晴らしい文章だ。
東京の家のリフォームを待つ間、鎌倉に数か月だけ移り住んで、海風と近くの森を全身で感じて楽しみ、休日にはちょっといいところで外食をして、日頃は、午前中に執筆をして、午後は読書や人と会う。
20年来のパートナーがいて、たまに旅行に出かける。
そんな生活が描かれていた。
毎朝起きたら、湯を沸かして、その間に床を水拭きでさっと掃除して、湯が沸きあがったら、屋上のテラスでコーヒーを飲みながら鳥の声に耳を澄ます。
時間のあるときには梅仕事。
なんという素敵ライフ。むちゃくちゃうらやましい。
靴下の片っぽをすぐなくす私には、小川さんみたいな丁寧な暮らしはできそうもないが、作家を志す人にとって、理想の生活ぶりじゃないだろうか。
私は好きな文章を書いているが、職業作家ではないし、著者のいる地点からはものすごく遠いところにいる。
小川さんは、村上春樹さんと比べて、自分はちっぽけな作家だとおっしゃり、「月とすっぽん」みたいな例えをされていたが、小川さんほどの人がすっぽんなのだとしたら、私はなんだ。原子か。
とにかく雲の上の上の存在だ。
だけど、私は『今日の空の色』をベッドの上で読みながら、足をバタバタするくらい「うらやましい」「ずるい」と思ったのがうれしかった。
そんな風に思うということは、自分にもできるかもしれないと思えているからだ。可能性を信じられているからだ。
絵と文章で生きていくと、小学生の時に決めたのに、「ちゃんとした仕事に就け」という親の「まっとうな」アドバイスを受け入れて、才能の無い私なんてどうやったって無理、と自分の夢や望みを認められなくなった。
20年ほどそんな状態が続いて、夢を叶えた人の文章を読んでも、ますます落ち込んだ。
noteでコツコツを文章を書いていく中で、書く自信が少しずつついてきたということだろう。
夢を持っている人は、周りに言うのもいいけれど、心の中にそっとしまって大事にするのもいいかもしれない。
夢の第一歩を踏み出したころは、まだまだ下手なものしか作れない。
そういう時に、下手に人に話すと、否定されたり、やめた方がいいよとアドバイスされたりするかもしれない。たいていの人は、善意でそういうことをいうから、困る。
何かをやりたいという前向きな気持ちを持つ人がいたら、否定したり、アドバイスするのではなく、ただそっと見守って応援してあげたい。それが何よりの栄養になると思うから。