Q.飢饉のときに飢えた百姓は何を食ってしのいでいたのか?
A.野老(ところ)です。
トコロ、と聞いてピンとくる人の方が少ないと思うので説明を。
野老(ところ)ことオニドコロというのはヤマノイモ(自然薯)とよく似た根茎を持つ植物だが有毒である。
えっ、そんなもん食って大丈夫なの? と思うかもしれないが、実はこれ念入りに水に晒したり何度も長時間煮て毒抜きをすれば一応食べられる(それでも老人や病人はやめたほうがいいという但し書きがつく)。キャッサバみたいなもんか、とも思う。
現代では全く有名ではないが、野老(ところ)は江戸時代、蕨(わらび)や葛と並んで救荒食物(きゅうこうしょくもつ)として重宝された。
かの有名な「享保の飢饉」「天明の飢饉」「天保の飢饉」の三大飢饉以外にも当時は各地で何度も飢饉が起きており、特に東北地方なんかは米以外の農作物を育てていない+江戸に廻米(かいまい)(※お金に替えるために他地域に米を送ること)していたせいで備蓄米もなく、一度飢饉が起こればたちまちたくさんの百姓たちが餓死した。
食うに困った田舎の農民たちは山野へ分け入り、蕨(わらび)といった山菜や葛や野老の根、どんぐりや茸、果ては松の皮を煮て柔らかくしたものを食ってしのいだという(現在でも秋田県には「松皮餅」というのがある)。
Youtubeで実際に葛の根から葛粉を作っている動画を見てみたが、何日もかけて一生懸命精製しても10キロ以上ある根茎からたった数百グラムの葛粉しか得られない(!)。
コンニャクなんてなんの栄養もないのにどうしてあんなに苦労して食べようと思ったんだ? という話をよく耳にするが、要するに昔の人はそれだけ食うのに困っていたということだろう。