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なつのひはつめたい

就職が決まりました。
パソコン触るのが好きだなあと前職で思ったから、パソコンの仕事。そしてそういう仕事を選ぶ人は、人付き合いの距離感が、広い人が多いよと、教えてもらったので、そうした。

どんなに素敵でいい人でも。
生きているレイヤが違う人というのはいて、どんなに見ているものがおなじでも、あんまりに感じ方が違うことに、冷たい断絶を感じてつかれるときが、ある。

いま、すごく奇跡的な偶然で、私と付き合い始めてくれたひとがいるのだけれど、レイヤが近くて、助かるなと、かなり思ってるから、なんだか最近、余計。


人の言葉について考えている。
言葉というのは、すべからく要求だ。どんな言葉でさえも、相手に何かを求めている。反応から始まり、優しさや慰め、物や罰なんかを、と、……

思っていたのだけれど、どうも違うようだった。
そのことに、そのひとが、気づかせてくれたのだ。(便宜上今度は、なすくんと呼ぼうとおもう。初めて一緒に出かける予定なのが、那須だから。)

どうして気が付かなかったんだろう。

責めたいわけじゃない、すこしも。
けど、整理と、認知のために、ぼんやり書き残しておく。たぶん、母のせいだ。そうしてそれは、母の、母のせいでもある。

「洗い物するからええよ。お風呂入り、先」

そう言われて、風呂に入るのは間違いだった。
いや、先洗っとくからその後入るわ、が、正解。
この言葉を真に受けて、風呂から上がると、母は悲しそうな顔で言った。みんな母親のことを奴隷だと思ってる。どうして何もしてくれないんだろう?私を軽んじてるのかな。

そうして私は急いで謝って、まだ終わっていない家事を探す。掃除だとか、取り込んだ洗濯物を畳むとか。そうしたところで、許されたことは無いのだけれど。

学生の頃、どうしても学校が嫌で嫌で、抜け出したら、大事になったことがある。次の日親子共々呼び出され、普通に怒られた。帰り道、母は、「このあいだ外に連れて行ってあげたのに、どうして学校にちゃんと行ってくれないの」と、言った。

あっ。
取引だったんだ。

何かをするということは、なにかを言うということは、要求なんだ。それを読み取らなければ、いけないんだ。そう分かったので、ずっとそういう風にひとと話をしてきた。

つらい話ではない、べつに。
このひとの要求には答えない、この人には応えよう、そういうふうに分けていたし、それが当然だと思っていたから、何ともなかった。(たぶん。)

でも、ちがうらしい。
なすくんは、すごくきちんとしていて、そうしてやさしいので、私におはようと、ちゃんと毎朝連絡をくれる。
それを見て、私は、しまったと思った。
あんまり私が寂しがるから、言葉を欲しがるから、そういうこまめさを、要求してしまったと思った。いそいで謝ると、なすくんは言った。

やりたいからしてるだけだよ、やりたくないことはしないよ。そこまで未熟じゃないよ、信じてね。

なすくんは私よりも随分歳下だ。
けれどそう言った。その類稀さを、その衝撃を、どうしたら表せるだろうか。

言葉は要求ではなかった。
要求であることは多々あるかもしれないけれど、そうではない言葉があることを、わたしは、笑って欲しいのだけれど、今日知ったのだ。

そうしたら、もしかして、今まで沢山あった人たちも、もしかして、要求していた訳じゃないのかしらん?

そんなことを思って、整理しようと思って、この文章を、マックでスムージーを飲みながら書いた。

いい天気だ。なんてこった。
ひとつ解かれたなにかをぼんやり眺めながら、スムージーの底に溜まった、桃を掬っている。


あっけなく手に渡されたふわふわのことば なんでもないよ、にっこり/菅沼ぜりい

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