雨ニモマケズ風ニモマケズ書キツゞケル
ほぼ日の糸井重里さんは、『今日のダーリン』というエッセイを18年間一日も休まずに更新し続けている。極ひかえめに考えても、気が遠くなるような数字だ。そのとき、ふと浮かんだのが、宮沢賢治さんの『雨ニモマケズ』だった。
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
欲ハナク決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
糸井さんと比べるべくもないが、平日まいにち、エッセイのようなものを書いている。〆切が迫った仕事やらプライベートの用事やら、夜遅くまでの深酒やら、書くのをやめてしまう、もっともらしい理由は見つかる。(まったく、いとも簡単に)書くことに限らず、ランニングについては、もう幾度となく挫折を繰り返している。
だからこそ、糸井さんのすごみがよくわかる。(正確に表現するなら、わかったふうでしかないのだけれど)そのすごみを、違った角度から検証してみたいと思う。糸井さんが雑誌SWITCHIの特集で「師と仰ぐ人は?」という質問に、「うーん、どうしても吉本隆明さんですね。」と答えられたその人、吉本隆明さんのことばを参考にして。
いつも言うことなんですが、結局、靴屋さんでも作家でも同じで、10年やれば誰でも一丁前になるんです。だから10年やればいいですよ。それだけでいい。
他に特別にやらなきゃならないことなんか、何もないからね。10年間やれば、とにかく一丁前だって、もうこれは保証してもいい。
それから、毎日やるのが大事なんですね。要するに、この場合は掛け算になるんです。例えば、昨日より今日は二倍巧くなったとしましょうか。で、明日もやると。そうすると二 × 二の四倍で、その次の日もやったら、また×二で八倍になる。だけど、毎日やらずに間を空けると、足し算になっちゃうんです(笑)。(『悪人正機』吉本隆明/糸井重里)
吉本隆明さんの考え方に当てはめて、30日間まいにち何かを続けたと仮定すると2の30乗で、なんと10億という数字になる。巧さというか、技術力というか、戦闘力というかが、30日で10億になっている、と。こりゃあ、すごい。というか、すごすぎる。ちなみにこの計算式に当てはめ、365日18年間エッセイを書き続けた糸井さんの技術力を計測すると(30分くらいGoogleで調べまくった結果)、命数法と呼ばれる漢数字の最大単位である「無量大数」をはるかに超えている模様。(ちなみに命数法とは、一 十 百 千 万 億 兆 京 垓 𥝱(秭) 穣 溝 澗 正 載 極 恒河沙 阿僧祇 那由他 不可思議 無量大数)もう、後半に至っては読み方も意味も、ちっともわからない。
個人的には、まいにち続けることのすごさが、おもしろくイメージができた。この「続ける」ことと同時に大事なのが、「回数」という概念だと思う。「回数」とはどういうことなのか、今度は、芸術家の横尾忠則さんのことばをお借りしたい。(こちらも、糸井重里さんとの対談)
横尾
あのね、言葉を解放すると時間がなくなると言ったけれども、時間はすごく問題なんですよ。時間でものを測ったり、体験や記憶を時間に置き換えるとぼくはだめだと思うんですね。
糸井
というと?
横尾
時間よりも、むしろ何を何回やったかという「回数」のほうが、大事なんです。
糸井
あぁ‥‥その言葉はいいですね。回数!
横尾
絵を描くときの時間は、昨日も今日も明日も過去も現在も未来もないんです。いまの時間しかないわけでね。南方へ行くとさ、人が自分の年齢を知らないということがあります。だから、あの人たちは、時間の中で生きてないわけよね。
糸井
そうですね。うん、うん。
横尾
我々は時間の中で生きています。だけどぼくは、時間よりも、何を何回したかという回数のほうが大事じゃないかと思う。
糸井さんも興奮気味でしたが、ホントに膝を打つ思いだった。まいにち、3ページは小説を書く、1記事ブログを書く、一品は新しい料理を作る、スピーチの練習を1回する、といった具合。そう考えると、小説を書くために1日1回は机に座ってみるだけでも、「まいにち」と「回数」という条件をクリアできる。(実際に、吉本隆明さんはそれでもOKと話されている)
頭で考え、思いをこめるだけではいけない。手足を動かすことでこそ、生まれるものがあるということだ。ここには、村上春樹さんの以下のことばに通ずるものを感じる。
僕は日記をつけないから、自分の心理状態とかそういうことを書き残したりすることはないんだけど、事実関係、数字関係だけはきちんと残しておこうと。何時にどこに行って、何して、ビールを何本飲んだとか、そういう数字的なことだけはけっこうきちんと書いておきます。数字ってややこしいことを考えなくていいから。自分を事実に結びつけておく。ボートをロープでつなぐみたいに。(『みみずくは黄昏に飛びたつ』村上春樹/川上未映子)
続ける行動がよくできた、よくできなかったで判断する必要はない。ただ実質的にやることに意味がある。その行動の結果にも惑わされてはいけない。多くの人がこの落とし穴にハマってしまう。(じぶんに言い聞かせつつ)
じっと腰を据えて、一回いっかいの行動に、愛情をこめて丁寧に取り組む。
必ず何かが起こる。
何かがやってくる。
ゆっくりと、その何かを待とう。
今回もコンテンツ会議の記事を読んでくださって、ありがとうございます。
やや、やることやら情報が多すぎて、すぐに別のことをはじめたくなっちゃうんですよね。
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