海外協力隊にパッションは必要か?
福島県・二本松訓練所で、1日5時間の英語の授業を受ける毎日である。
私は学生時代から英語を使っていたこともあって、一番上のクラスに配属された。ホームクラスのメンバーは3人。みんなそれなりに意見の表明くらいはできるレベルなので、授業では主にケーススタディを中心としたディスカッションや、各々の専門分野のプレゼンテーション、さまざまな題材の5分間スピーチの練習、文法をブラッシュアップするエクササイズなどを行っている。
ちなみに、わたし以外は獣医さんなので、牛の人工授精や、ウガンダの野生動物保護の知識が貯まっていく。知らないことばかりで面白い。
そして英語が上達していくのは単純に楽しい。最初はあまり変わっていない気がしていたけれど、自然にクリアで長い文章が”言えた”とき、自分でもびっくりすることがある。
あ、今、言いたいことそのまま英語になった!!という驚きと喜び。そう、語学はこんな積み重ねで上達していくんだった気がする。
あと4週間でどこまで伸びるか、自分でも楽しみである。
ちなみに、ここでの個人的な語学学習のコツは、いろいろあるけれど、毎日慣れないでちゃんと悔しいと思うことかなぁと思う。
これ聞けなかった!言えなかった!わかんなかった!を、毎日一個ずつでも解消すること。
また、学習テクニックだとシャドーイングが一番好き。ときどき部屋でぶつぶつやっている。ちゃんと聴きながら同じ言葉を口に出せるようになると、「わかる」だけではなくて、「使える」言葉がぐんっと増える気がする。おすすめである。
そんな英語の授業。実は、授業中に最近、よくモヤッとしている。
英語のことではなく、協力隊の活動のモチベーションについてである。
今受けている授業では、過去の協力隊の皆さんのケーススタディのディスカッションが週に2日程度設けられている。要は、協力隊あるあるについて考えよう、というものである。下に簡単に例を挙げる。
内容は毎回、それなりに重いけれど面白い。全部現地で本当に起きうることだし、英語で語れるようになっておいて損はない。
私がモヤッとするのは、だいたい、授業の毎回の結論が、 "Don't give up, don't lose your passion!" で終わるからだと最近気づいた。
これは先生の性格も大いに影響している気がする。ちなみに、先生はゴリゴリの陽気なアメリカ人である(と思う、彼はお昼ご飯にポテチ&コーラを食べ、フォレストガンプが大好きである)。
上記のBさんの例だと、要約はこんなふうになっていた。
ご覧の通り、「諦めない心」がものすごく強調されている。私は天邪鬼なので、ここに大きな違和感を感じてしまった。
もちろん、モチベーションは大切だし、パッションがないわけではない。「途上国の人たちが少しでも豊かに生活できるように支援したい」というベースのモチベーションがあり、それがなければわざわざアフリカに2年間も住むという選択はしていない。
一番のもやっとポイントは、この例の結論が「根性論」に見えてしまったことだ。諦めないで続けていれば夢は叶う!と言う物語が刺さるにはちょっと歳を取りすぎたらしい。
私は基本的に根性論が嫌いだ。特に途上国という状況で、パッションだけで解決しないことの方が多いでしょう?というモヤモヤがついてまわる。諦めない心だけで解決するのであれば困ってないよ、という話なのである。「諦めない心<賢い方法」に価値を置きたいと思っている。
今回のBさんのケースがうまくいったのは、粘り強いパッションがベースにあるということはもちろん重要だけれど、それ以上に丁寧なヒアリングによるプロジェクト選定が成功したということだと感じている。
また、時に諦めることも必要だと思っている。ボランティアでしかないので、そのプロジェクトの継続が無理だと思ったら一回諦めても良くない?という意見である。つまり、一度パッションが切れてしまったところで、それはある種仕方がないことで、JOCV個人に許された自由だと思う。
極論だが、労働に対価が生じる「仕事」ではないのだから、隊員個人がやりたい or できる範囲の支援ができれば良いのだ。ボランティアと自己犠牲についてはよく議論されるところではあるけれど、私はお金をたくさん出したり、自分の健康を害したりといった多大な「自己犠牲」をしてまでジンバブエの人々を支援するモチベーションは、今のところはない。
ただ、やりたいことをやれば良いと言っても、独りよがりで現地のニーズがない活動ほど悲しいことはない。ボランティア側が「やりたいこと」「できること」の質を高めるのは大事そうだ。上のBさんの例のように、ちゃんと需要があって、私がいなくなっても回る仕組みを作りたい。どうせやるなら、本当に現地の人のためになる技術移転をしたい。難しいのがわかっているからこそ、そこには労力を注いでみたい。
これは個人的な意見だけれど、情熱の量は有限だと考えているので、使い所は選んでいきたいのである。
私は現地に行ってどのようなモチベーションで活動しようか、まだ決めかねているところがある。
正直、現時点でそこまで行く学校自体には興味がない。もちろん、状況を聞く限り色々と改善すべき点があるのは知っている。コンピュータ技術隊員としてできること、やらなければならないことはたくさんあるだろうが、その学校のICT環境をめちゃめちゃ改善したい!というところまではモチベーションがないのが事実である。知らない場所の知らない人たちを支援しにいくわけなので、現時点では当たり前といえば当たり前かなぁと思っているがどうだろうか。
ちなみに、今のモチベーションとしては、今後の進路を考えるためにも、ジンバブエの教育の現状を2年間かけて見てくる、とか、途上国にある問題の本質を知る、とか、そういった研究っぽいエリアへのモチベーションの方が大きい。
また、他の隊員を見ていると、他にも自分を主語としたいろいろなモチベーションの種類がありそうだ。「ずっと憧れていて」「コロナ禍で海外に行きたい」「単に途上国に住んでみたい」「先輩が行っていたから」「将来を考えて経験として」などなど、、
訓練中の現時点では、ジンバブエに行って現地の人たちを好きになれたら、活動のモチベーションの形も変化するのかもしれないと想像している。
私は現地の教員養成校に着任予定である。この人たちがもっといい仕事ができるように、この人たちが良い小学校の先生になるように、ジンバブエの教育レベルが上がるように、尽力したいと本当に思えた時、私のモチベーションは本物になるのだろうとぼんやり考えているところである。