「以後、気をつけます」では絶対に失敗をなくせない
失敗しない人間などいません。
けれども一度起こした失敗を二度と起こさないように努力することは可能ですし、他人が起こした失敗を自分が起こさないように努力することも可能です。まぁその努力が間違った方向を向いていれば、起こさないようになるかどうかは別の話なんですけれども。
失敗撲滅の原理原則の1つに
「注意力では、失敗もミスもなくすことができない」
というものがあります。
よく何か失敗をしたときには、
「申し訳ありません。以後、気をつけます」
と謝罪をする人を見かけます。なるべく神妙な顔をしてこの言葉を口にすれば、多くの場合は許してもらうことができるケースも多いかもしれません。聞かされているほうは、
「この人は本当に反省しているようだ。
もう同じ過ちは繰り返さないだろう」
とついつい性善説で信じ込んでしまいます。ですが、反省してさえいれば一切失敗しなくなるというのであれば、どんな人でも、どんな企業でも反省だけしていればいいわけです。
ですが、実際にはそれで失敗が撲滅されているでしょうか。
実は、このときに「信じ込んで」しまっているのは聞き手だけではありません。この謝罪を口にしている本人も、
「自分はもうこんなミスはしないぞ」
と重大な決心をしているはずです。
ちょっと回りくどい言い方をすれば、
「次に同じような状況に遭遇したらその遭遇したことを、
自分の注意力でもって気づいて失敗を回避しよう」
と心に誓っているわけです。でもこれは果たして本当に実現するでしょうか。おそらく注意力が持続している間は、失敗しないのかもしれません。ですが、だいたいにおいてこの誓いはいずれ破られます。
人間の決心はいい加減なものです。
ましてや注意力はもっといい加減です。
本人に悪気が無くても、その人の人柄がどんなに誠実でも、決心や注意力なんてものは『持続性』という一点において信用できないものなのです。
注意力は、物理的・肉体的なだけで解決できるものではありません。機械であれば細心の注意が必要な作業をし続けることができますが、人間には不可能です。実は機械も、注意をして細かい作業をしているわけではありません。
同じ位置に同じ部品を寸分違わず組み付けたり、文書ファイルから文字列を漏れなく検索できるのは、機械には「注意力」どころか「意識」も必要がないからです。作業に集中することもなければ注意力が散漫になることもない。指示されたことを組み込まれたロジックに従って忠実に再現し続けているだけなのです。
機械的にできる
寸分たがわず同じことを同じように進行できる
こうした取り組みは機械の方が優秀です。
一方、人間には意識があり、その意識は常に揺れ動いています。仕事をしていても突然プライベートの気になることが頭をよぎったり、空腹や喉の渇きを感じたりするでしょう。
体調不良や二日酔いがあったり、やたらと隣の人が気になったり、イヤな上司に怒られて気持ちが沈んでいたりします。好きな子が気になって集中できないかもしれません。人間の意識はいつでも自由気ままに飛び回っているのです。
そんな存在である人間に「注意力をいつでも100%向けておく」というのは、どうしたって無理な話です。しかも、そうそう何でも注意していられるわけではないので一つの注意すべきポイントにとらわれた結果、他の重要なポイントを見逃してしまうことも珍しくありません。
たとえば、車の運転をするときには1点だけに注意を向けすぎないことが重要です。しかしそれでも車道と歩道が仕切られていない道路で、
「歩行者に最大限、注意すること」
という指示をしておきながら、
「ドライブスルーのお店があったら入ること」
という指示を重ねたら、どちらかへの注意がおざなりになりがちです。特に初心者マークをつけているような人には絶対にしてはいけません。
もし人に絶え間ない高度の注意力を必要とするものがあれば、それは
「作業手順そのものが成熟していない。
または作業プロセスそのものに設計ミスがある」
というのが私の考えです。先ほどの運転の例でも、もし
「歩行者に最上級の注意を払いながら、
ドライブスルーのお店に入りなさい」
という指示のもと事故を起こしてしまったら、その原因は単に運転者の未熟な技術にあるだけではない、ということです。前方に特に気をつけなければいけないような道路にドライブスルーのお店があるというのがそもそもの間違いのように思います。
あるいは自動車にオートブレーキが搭載され自動運転が一般的になれば、車の操作や前方不注意に関わる事故は起こらなくなるでしょう。
そう考えれば、車の機能が十分成熟していないともいえますね。
車そのものが改良されれば近年、深夜の高速バスで起こっているような悲惨な事故も起こりようがなくなるはずです(かといってその過酷な労働条件が改善されなくていいということではありませんが)。
今でこそ普及した旅客機のオートパイロット(自動操縦装置)によってパイロット(操縦士)は「常に注意を集中させる」という過酷な作業条件から解放されました。
離着陸といった大事な場面のために、集中力を温存できるようになったのです。これはまさに事故が起こりにくいように作業そのものを設計し直した好例でしょう。
では、多くの人が従事するオフィスワークはどうでしょう。
たとえばコピー機やスキャナの出現や、パソコンの自動校正機能などもあって、昔に比べると「注意力」が過度に求められる事態は減りつつあるといえます(使いこなしている人がどれだけいるのかはわかりませんが)。しかし、私たちが注意力と労力を費やさなければいけない作業はまだまだ溢れています。
たとえば、向きも大きさもてんでバラバラの領収書を集め、A4用紙に行儀よく貼り付け、コピーをとって、その内容をスプレッドシートかデータベースに手で打ち込んでいく…こんな経理の作業には打ち間違えのないようにとか、申請漏れがないようにとか様々な注意すべきポイントが潜んでいます。
そのため、会計は「ダブルチェックを行なう」「監査を入れて間違いがあれば見つける」などの対策をとることで、未熟ながらもミスが起こりにくい手法が確立してきています。
でもこの作業のように、仕事の本質とはあまり関係のないものに関しては今後不要になっていくでしょう。まぁ画像認識の機能を用いたり、RPAなどを導入すれば今でもあっという間に終わるかも知れませんけどね。
システムがどのように変貌を遂げるのかなどまだ予測がつきませんが(こうすればいいのにと思うモデルはいっぱい思いつくけど、もう自分で作るのは無理かなぁ…)、IT技術の活用によって
「注意すべきポイントがいくつもある煩雑な作業」
は今後しなくてよくなっていきます。つまり、システムそのものを変えて「ミスが起こらないしくみ」に切り替えていくということです。
実は、個人のミスについて考える際にも大事なのが、現状の
「ミスを起こさないために注意して作業しなければいけない取り組み」
から、
「注意しないでもミスが起こらないしくみ」
に切り替えていくことです。IT業界は、従業員の個人努力に依存していた運用をシステムを構築することで一連のしくみとする最前線の業界です。
たとえば、いくら注意しても正しく経費の申請をしてこない人に、
「次回から気をつけてください」
と指導しても時間の無駄ですよね。しばらくは気を付けるかもしれませんが、時間がたてば元の木阿弥に戻ります。性善説にしがみつき、いつまでも「気を付けてください」と怒り続けたい人はそうしていてもいいでしょう。
「注意するだけでは、完全にミスを撲滅できない」
と言う性悪説に則った場合にかぎり、初めて"しくみ"を考えることができるようになります。そして、その人がきちんとするしかないしくみをつくっていくことがお互いの仕事を円滑に進めることにつながるのです。
「システム」とは、それを実現したものに過ぎません。
システムは、人間の持つミスを誘発しないようにするため性善説ありきで作ってはならないのです。個人の失敗についても、同じような考え方を持ちましょう。
・何か失敗をしてしまったときに、
「次回から気をつけよう」と念じるのはやめる。
・注意力を求められるとき、煩雑な作業が発生するときには、
そうしなくていい具体的方法を考える。
それが失敗を撲滅するための一番の近道です。
そしてそれらができない人、やろうとしない人が品質を低下させます。できる人やできる人の周囲では圧倒的にミスが減っているか、ミスが検知できるしくみができているはずです。
これは成果物に限った話ではありません。
コミュニケーション齟齬などのミスも大いに減っていることでしょう。言い換えれば、ミスやトラブルを起こすか起こさないかは
しくみ中心で仕事をするか、
属人中心で仕事をするか
で明暗がはっきり分かれるということです。
どのような仕事であっても、一部の人に依存し一部の人以外にできない状況を作り出している間は、品質の高いアウトプットが安定供給できることはありません。結局、人によってマチマチになるからです。仕事の品質も、成果物の品質も「しくみ化(プロセス化)」できているかどうかで、大半のことが解決します。
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