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落ち込んでも、何も解決しない

私は、仕事でうまくいかないことがあっても、不思議なことに"落ち込む"ことはありません。

あ、いえ、嘘つきました。

厳密に言えば落ち込むことも極稀にありますが、落ち込みや不安、悲しみなどのマイナスの感情が湧き起こっても、「最短数秒」で気持ちを切り替えます。あえてコントロールが難しいとしたら、その瞬間ヤル気までは回復しないことでしょうか。まぁ常々、仕事は並行して5~8個ほど稼働しているので、目の前の仕事にヤル気をなくしたら、他の仕事に切り替えて、モチベーションを上げるだけです。原理は

 「飽きたから、他のことやって気を紛らわせよう」

と言うのと同じかもしれません。

もちろん、最初から「秒」単位で立ち直れたわけではありません。昔は、自分の不甲斐なさや、職場での理不尽を心の中で消化できずに、四六時中、クヨクヨ、ウジウジと悩んでいたこともあります。

ですが、仕事でも、開発でも、ましてや作業でなく、ビジネスとして考えるようになったとき、

 「心配事はいくら悩んだところで、1㍉も解決しない」

ということに気がつきました。たぶん、社会人になって3~4年経った頃だったと思います。気がついてからは、悩んだり、迷ったり、落ち込んだりする時間を極力なくす努力をしてきました。解決しない限り、いつまでも同じことで一生クヨクヨ、ウジウジと悩み続けるだけだし、それでいて結局解決しないままです。

長引けばそれだけ、仕事も人生も無駄遣いになってしまうわけですからね。精神的な自己満足より、残りの人生を浪費する方が、私個人としては嫌だったんです。

心配事を解決する唯一の方法は、

 解決するために「行動すること」

それだけです。それ以外に方法はありません。あえてあるとするなら、他力本願することくらいでしょうか。ただし、仮にそれで解決できたとしても、自らの血肉には決してなりません。

その本質を理解してからは、私は常日頃から「落ち込むこと」より「解決すること」に時間をかけてきました。そして、今後もこのスタイルが変わることは無いでしょう。停滞は、時間の無駄だからです。

そのうえで、私は私自身にいくつかのルールを設けています。

落ち込む時間は、最長「3分」まで

人間には感情があるので、「落ち込み」を完全になくすことはできません。怒りや悲しみのようなマイナスの感情が動くこともあります。けれども、先ほども書いたように、どんなに感情が動いても、行動が伴わなければ何一つ解決することはありません。

そこで大事なのは「落ち込んでいる時間を短くすること」です。

トラブルに見舞われたら「3分間だけ落ち込む時間」をつくり、しっかり落ち込みます。なんなら、誰もいない倉庫で大声を上げてもいいでしょう。そして、短い時間で「マイナスの感情」をすべて吐き出します。ついでに、ちょっと分析してみてはどうでしょう。

 「なんでこんなことに…」

を心で悩むのではなく、頭で考えるのです。事実情報を整理し、可能性を洗い出し、一つひとつ検証するのです。「なんで」がわかれば、是正することも、再発防止する方法も、見つけるのはそんなに難しい話ではありません(解決できるかどうかはまた別の話ですが)。


無理にでも「笑う」

以前にも書きましたが、私は「困ったら笑え」と言う言葉を座右の銘にしています。

困った時に、いくら困り続けていても、いくら悩み続けていても、解決にたどり着くことは決してありません。マイナスの状況に、メンタルまでマイナスに持っていっては、相乗効果となって、より解決が遠のくと考えています。

ですから、3分間めいっぱい落ち込んだら(今や3分も必要ないけど)、今度は無理にでも「笑う」ようにしています。できれば声に出して笑うようにします。人前でやってもかまいません。

イギリスのサセックス大学で行われた実験の結果、「笑う」ことで、自分自身の気分が上がることが報告されています。「口を尖らせてアニメ番組を見る」のと、「笑顔をつくってアニメ番組を見る」のでは、後者のほうがおもしろく感じるそうです。

また、『種の起源(しゅのきげん)』の作者、ダーウィンは、表情に関する研究もしていて

 「笑顔とは気分が良いときの結果であるだけではなく
  微笑むという行為自体が気持ちを上向きにさせる」

と述べています。

落ち込んでいるときこそ、笑ってみる。

作り笑顔でもいいので、無理にでも笑うようにすると、立ち直りが早くなるのだと、私もそう思っています。


「落ち込んだ原因」と「解決策」を書き出す

落ち込み続けていても事態は改善しないので、すぐに問題の解決に取り掛かります。私の場合は、まず「落ち込む原因(まぁ大抵は問題原因)」と「解決策」を書き出して、整理するようにしています。できれば解決策は1つではなく、1つ目ができなかった時にすぐにシフトできる2つ目、3つ目を検討・用意します。

事実に基づくデータからの"分析""評価"は、ものごとを客観視するための第一歩です。

「悩む」「落ち込む」と言うのは、主観的な感情が支配しているものです。ですから、客観視することで冷静になり、メンタルをフラットな状態へ持ち直す手助けにするのです。

たとえば、仮に「信頼している社員が辞めた」としたら、「どうして辞めたのか」「何がいけなかったのか」といった原因を洗い出し、その後「では、どうすれば改善できるのか」を考えます。そして「解決策」が出たら、即座に実行します。そうしないと、他にも信頼している社員が続々辞めてしまうかもしれません。いつまでも落ち込んでばかりで、何1つ解決しようとせず放置していればいずれはそうなるでしょう。

 原因を特定し、解決策を模索する

これをスピーディーに行い、同じ問題が再発してまた落ち込むようなことが無いようにするためには、今、目の前で時間を無駄にして落ち込んでいる暇なんてないのです。

それでもその場で延々と「落ち込みたい」「悩んでいたい」という人は、解決を遅らせて、再発させ、また同じように落ち込んだり悩んだりしたい…と言う、ドMな人なのかもしれません。自己陶酔、自己満足…気持ちとしてはわかってあげたいと思いますが、考え方だけはさっぱりわかってあげられません。

また、稀に"批判""批評"を、なにかネガティブなものと勘違いしている人がいます。しかし、本当の意味で建設的に、前向きに生きたいのであれば、冷静な分析や評価は絶対に必要ですし、その中で批判や批評があっても、それは

 前に踏み出すための貴重な情報の1つ

と捉えれば、なんらネガティブになる必要性がありません。"批判""批評"があるというのは、自らの考え方や行動に誤りがあるか、あるいは周囲と折り合いがついていないということでもあります。それを改めるか、あるいは折り合いのつく環境に移るチャンスでもあるはずです。言い換えれば

 今より良くするチャンス

ということです。

"批判""批評"をネガティブにとらえている人は、感情や感覚に頼りきりで、論理的な根拠を持ち合わせていない人に多く見られます。"批判""批評"に価値が無いのは、感情的で「根拠」が無い場合に限ります。逆に言えば、「根拠」が伴ってさえいれば、"批判""批評"も正しい分析・評価の一部でしかありません。



今の私だと、落ち込むこと自体が数年に1度あるかないか…仮に落ち込んだとしても、落ち込む時間は「2~3秒」あれば十分です。3分も必要ありません。基本的に貧乏性なので、そんなことに費やす時間最勿体ないと感じてしまうのです。

本当なら、寝る時間も惜しいくらいで、昔、毎日5分ずつ寝る時間を減らしていく…と言う訓練をしました。筋トレをする際に毎日1回ずつ回数を増やしたら、腕立て伏せが苦も無く100回できるようになったことがあって(今は無理ですよ?)、同じように慣らしていけば、睡眠も省けるんじゃないかと思いましたが…

結果は、3時間睡眠くらいが限界でした。

ですから、瞬時に気持ちを切り替えて、残りの時間は「事態の収拾」「解決」「改善」に使っています。

人生には、落ち込んでいる暇などありません。

 丸1日落ち込んでも、3分間しか落ち込まなくても、
 どちらも「問題解決」したことにはなりません。

だとしたら、落ち込む時間は「極端に短く」して、すぐに解決に乗り出したほうが、自分にとっても、全員にとってもいいのです。私は、貧乏性であるがゆえに、自らが使えるリソース(資源)に対しては、損得で考えてしまう癖がついているようです。

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Takashi Suda / かんた
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