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情に流されていい仕事、情に流されるべきではないビジネス
お久しぶりです。
今年の3月にリモートワーク中心となるべく、東京から福島に移り、悠々自適なセカンドライフを…という妄想は置いておいて。いや実際、福島に移住をして、リモートワーク中心の生活になってはいるのですが、悠々自適のセカンドライフ…とまではさすがに。
プライベートな話はいったん置いておいて、今もITに関連する業界で色々と日々精神を削りながら過ごす中で、これといったネタについて少し触れていきたいと思います。
そもそも人間には「情」というものがあります。
そして仕事においてこの「情」はよく働く面もあれば、悪く働く面もあります。一概に情に流されることがすべて悪いというわけではないものの、情に流されることでまともに機能していない仕事やビジネスというものが比較的多く存在するのも確かです。
色々と触れる前に、まず1つ「これだけは」と言えるものがあるとしたら
数字に影響するビジネスにおいては
「情」に流されてはいけない
ということでしょうか。
まぁ向き合うものがビジネスである場合、たいていは必ずと言っていいほど「数字」に帰結します。ですので、大半のことは情に流されない方がいいのは確かです。ですが、一時的に損をしてでも情に流された方がいいケースというのも存在します。その1つは、「人」とその人の「パフォーマンス」に将来性を見込める場合です。
言ってみれば鶴の恩返しのようなものだと思ってください。
一時的に数字に悪影響が出たとしてもフォロー可能で、かつその選択自体が将来的に鶴の恩返しのように2倍、3倍となって返ってくる…というのであれば、情に流されるのもいいでしょう。少々打算的かもしれませんが、数字に対して責任を負う立場になればなるほど、そういうリターンでもない限り簡単に容認するべきではありません。数字に悪影響が出るということは、ひいては組織や企業にもダメージを与えるということだからです。
情に厚い人
というととても耳ざわりが良く聞こえますが、基本的に聖人でもない限り「人の情」というものは有限です。許容限界というものがあります。言い換えると「常に」「いつでも」「どんな条件でも」情に厚いわけではないためどこでその情が切れるのか信用できません。「今日も情に厚いだろう」「また許してくれるだろう」と無条件に信じることができません。したとして、延々と甘え続ければいつかは限界が来ます。
それに情に厚い…ということは、必ずしも「優しい」とか「暖かい」方向に特化しているとは限りません。要するに感情的になりやすい人のことですから、「スキキライが激しい(露骨に贔屓する)」「優柔不断になりやすい」などのデメリットも兼ねている危険性が多いのです。それは本当にビジネスにおいて重要なポジションを任せていいと言えるのでしょうか。
そういう意味で、本当に信用できるのは
情で判断しない人(≒冷たい人)
です。好かれるか/嫌われるかで言えば、嫌われる部類に属する可能性が高いでしょうが、常に合理的、論理的に物事を考え、常に判断や決断に明確な根拠があり、そのすべてに説明がつく人。少なくともビジネス相手、取引相手であればこういった人の方が圧倒的に信用できます。
そもそも相手の情に訴え、情に頼らないとならない人というのは、たいていの場合は何か自身に落ち度があったり、未熟な状態である場合が大半です。だから相手の情に頼らないとどうにもならないわけです。その時点ですでに仕事やビジネスはどこか破綻しています。あるいはその直前です。そんな状況に対してそのまま情に任せて許容してしまえば、より大きな破綻へとつながってしまうかもしれません。
感情的にならず、常に思考を張り巡らし、常に最適解を模索する。正しい判断と正しい行動を常日頃から求めるのであれば、こうした合理性を求める人の方がよほど向いていると言っていいでしょう。
実際、なんの確信となる根拠もなく、漠然と「自分が成功したサービスだから」といって過去の栄光に固執し、目の前の状況や条件等を見ようとせず、最適かどうかの判断を誤れば、その先の成功に対して何も信用できる要素となりません。
失敗を前にして
「前はそれで上手くいったから」
という言い訳をする人はこれまでに数多く見てきました。定常業務であればまだしも、プロジェクトのように「独自性」という要素を持ったビジネスにおいては、過去の事例に似ていたとしても常に何か異なる部分があるものです。
そのため、必ずと言っていいほど「前はそれで上手くいったから」ではなく
以前と同じ個所(条件)は何か
以前と異なる個所(条件)は何か
を抽出し、そのうえで以前と同じ判断を行っていいかどうか検討しないと、誤った結末になりやすいのは当然です。自らの情に任せ、思考を停止させたことが失敗の原因なわけです。
あるいは「あいつは頑張ってるからあと1年信じて待ってやろう」という判断も、その先の成功に対して何も信用できはしないでしょう。たしかに情が厚く、優しいのかもしれませんし、ひょっとするとその情に感銘を受けてより良い結果へとつながってくれる可能性もゼロではありません。
しかし、それと同じくらいそうならない可能性も存在しています。人は易きに流れる生き物です。ただ情が厚いだけでは相手も甘えるだけで、最悪の場合「自分はこれでいいんだ」と勘違いしてしまう人だって出てくるでしょう。そうすることで相手の成長をも阻害し、自身も相手もより悪い未来に向かってしまう可能性だってあるわけです。
もちろん、ただ「情」に流されないだけでは何も効果がありません。「情に流されない」「情を優先しない」代わりに、それに勝る
冷静な判断
明確な根拠の言語化
この2点につとめ、また自分自身にすら情をかけず、常に疑い、常に最適であることの確認を行い続ける必要があります。
その結果、他人からは冷たい人と評されるかもしれませんし、それが噂として上司や経営陣の耳に入れば厚遇してもらえないかもしれません。たとえばよく酒の席を用意して、そういった場で話を聞きたがる昔ながらの経営者…なんてのもまだまだたくさんいらっしゃると思いますが、そういう人たちからすれば
「あいつは酒に呼んでも面白くない」
といって敬遠されてしまう可能性だってあります。まぁそういう経営者の下ではそもそも情に流されやすい人たちばかりが評価されるため、企業として成長できるかどうかは怪しいところです。当代の経営陣だけは甘い汁を吸い続けることができるかもしれませんが、長期的に経営が存続できるかどうかは別問題です。
「情」は確かに大切です。
でも、その「情」すらもただの道具であると割り切るべきです。
薬だって使いどころや使う量を誤れば毒になります。それと同じです。情だって「使い方」「使いどころ」「使う量」を間違えれば必ず期待しない結果となります。
少なくとも「数字」に影響を与えやすいシーン、「数字」に影響を与えるまでの期間が短いシチュエーションにおいては、絶対に情を優先しないようにしましょう。
仮に情による判断を優先するとしても、その際にはそうした選択をするうえで失敗しないため、期待しない未来とならないためにどのような手を打てばいいのかしっかり考えてください。
情に流されるというのはそれだけで、イバラの道を進むのと同じようなものです。情に流されず最適解を検討するのとは色々と厳しい条件となっていることの方が多いでしょう。
情に任せて判断し、あとは流れに身を任せるだけ…では上手くいきません。いったとしても継続して同じ成功を得ることは難しいはずです。
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![Takashi Suda / かんた](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/15070049/profile_7d39d4033cfa5aee6486482a9901291a.jpg?width=600&crop=1:1,smart)