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普通であるように見せることの辛さ / 「普通の人々」
ドナルド・サザーランドといえば1980年の映画「普通の人々」を思い出す。ただ、このアメリカの郊外に住む"普通"の家庭が崩壊する様を描いた映画について、僕はあまり語らない方が良い気がする。何を言われても自分のあり方を変えようとせず、他人を非難することに熱心で、世間体ばかり気にしている母親ベスが、あまりにも僕の母親に似ていたからだ。本作ではベスは家を出て行ったが、僕は高校を卒業して家を出ていくまでの間に、台所の食器などを投げまくった挙句に離婚すると大騒ぎした母親を数えきれないほど見た。この映画で描かれる父親カルヴィンと母親ベスの様子は、幼い頃に僕が見ていた光景にそっくりだ。だからこそ、この映画はロバート・レッドフォード監督の素晴らしい観察眼に基づいた名作なのだ。本作の主人公コンラッドがそうであるように、僕もまた両親をよく見ていた。
こうした郊外の中流以上の家庭は、世間から普通(ordinary)であることを求められることが増えるので、大人になるほど息苦しい世界でもある。本作では兄の死によってその圧迫感が家族に押し寄せた。コンラッドは若く聡明な男なので、好きなジェニンと精神科医のバーガーのおかげで独り善がりを脱した。カルヴィンはベスにそれまで言えなかったことを告げることができた。ベスは何を変えようとしただろうか。それが本作の核だ。
人は誰でも、自分自身だけの力でその中身を変えることは困難だ。小説や映画や音楽や絵画や、あるいは周囲の友人や、そういうものの助けを借りて、独り善がりを少しでも脱していく方が心地よいものだろう。自分の意見に同意や共感を示してくれる友人の方が気持ち良いものだが、それだけでは人は成長することを止めてしまう。いわゆる手前味噌になるだけだ。
レッドフォードは監督としてこうした親子の関係を描くことがうまい。「明日に向って撃て!」や「スティング」などでのイケメンぶりが印象に残る男だが、きっと本人は繊細なのだろう。本作でアカデミー賞の作品賞を含め4部門を制覇したレッドフォード監督が、この12年後に撮った映画が「リバー・ランズ・スルー・イット」である。
なお、本作でジェニンを演じてデビューしたエリザベス・マクガヴァンは、4年後に「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」でデボラを演じた。キャリアの初期に役に恵まれた女優である。
しかし、こうしたスターもいなければ派手なCGもない静かな映画が当時は作品賞を受賞したし、ハリウッドも名作を撮ろうとしていた。いつの間にか、デヴィッド・リンチ監督やアキ・カウリスマキ監督が引退してしまうような業界になってしまった。近頃のアカデミー賞やパルム・ドールなんて茶番である。残念なことだ。