見出し画像

君の名は? / 「過去のない男」

フィンランドを代表する映画監督といえばアキ・カウリスマキだ。もちろん、他の映画監督の作品を観る機会がないとも言う。カウリスマキの映画はカメラをほとんど動かさず、静かな長いワンカットの連続によってフィンランドの労働者たちの生き様を見つめている"コメディ"である。よく勘違いしている人がいるが、カウリスマキの映画は純然たるコメディだ。こういう表現を英語では deadpan とか dry humour と呼ぶ。何かが起きても登場人物はずっと無表情のままでいることによって、そこでの感情などについて観客に考えてもらおうとする喜劇の手法である。かつてはバスター・キートンの映画でよく使用されていた。
前回の記事でアート調の作品を撮る映画監督が引退してしまう、という話を書き、カウリスマキの名前を出したので、ついでに代表作である2002年の映画「過去のない男」について書く。ちなみに、カウリスマキは2017年に「もう映画なんか撮らない」と拗ねてしまったものの、去年「枯れ葉」で復帰した。ドイツから製作費が出てきたようだ。
「過去のない男」は、2002年のカンヌ国際映画祭でグランプリを受賞した作品だ。これもよく勘違いしている人がいるので付言しておくと、カンヌでの最高賞はパルム・ドールであり、グランプリは第2席のことだ。では2002年のパルム・ドールは何だったのかというと「戦場のピアニスト」である。これが同期の映画は運が悪い。しかし「過去のない男」もよく出来た佳作である。

ヘルシンキの駅に着いた男が公園のベンチに座っていると、3人組の男たちに暴行され、病院で気が付くと記憶を失っている。病院を抜け出して倒れ込むと、港に捨てられているコンテナに住む人たちに救われ、男もそこで生活し始める。救世軍に勤めるイルマと良い仲になり、新たな人生が始まるかと思っていた矢先、ふとしたことから男は自分の過去と向き合うことになるのだったーー。
この映画は、記憶を失ったことにより冒頭から人の良さそうな男だった主人公が、実は意外な過去を抱えていたということから、周囲の人間や環境が個人に及ぼす悪影響を描いている。男は人を愛し、救世軍の活動を助けるような、善いフィンランド人であるにもかかわらず、過去が全くそうではないということは、男自身の弱さでもあり、また周囲の状況から抜け出せないという閉塞した世の中のせいでもあるというカウリスマキの視線だ。労働者たちの困窮を通して、フィンランド政府を強く批判している。そしてこういう指摘は、ほとんどの国に通用するものだろう。他のことをして人生の再出発をする、ということが現代では難しいのだ。
記憶、あるいは脳の日々の活動によって人間は"人格"を保持しているということは、僕の父親が脳梗塞を発症してから性格が変わってしまったことからもよく分かる。個人にとって脳はきわめて重要な中枢神経なので、欧米の映画は精神をテーマにした作品が多い。ヒッチコック監督からリンチ監督まで狂気をテーマにしていた映画監督は山ほどいる。精神の病に触れないようにしていたのは日本人くらいだ。だから今頃になって発達障害などという奇妙な単語をこしらえて、頭が悪いという基本的な表現すらしなくなってしまった。言葉をいくら変えても、それは言葉に過ぎず、現実は一切変わらない。「過去のない男」において、男がいくら名前も記憶も思い出せなくても、毎日の生活がどんどん進んでいくことと同じだ。
何が起きても地球は自転するし、明日はやってくる。だから我々はどう生きていくべきか、何を変えるべきなのか、そういうことを観客に問いかけている映画だ。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集