Ugetsu は映画のアジア代表 / 「雨月物語」
日本国との平和条約が発効してから、すなわち、日本国という国が"生まれて"から約1年後、溝口健二監督の「雨月物語」が公開された。同年のヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞を受賞し、欧米の映画人たちから今なお絶賛されている本作は、日本国ではほぼ忘れられたと言っていい。
そもそも、上田秋成の著した「雨月物語」でさえ、高校生が大学受験のために本の題名だけを覚えることがある程度だ。僕は日本文学の中で最も好きな作品だが、読んだことがある人は稀である。みんな「キングダム」や「鬼滅の刃」で忙しいのだろう。
映画の筋書きは「雨月物語」の中の"浅茅が宿"と"蛇性の婬"の2篇が下敷きになっている。欧米の人たちに特に好まれる理由は、おそらく"蛇性の婬"における白昼夢のような筋立だろう。映画でいうと、源十郎(森雅之)が若狭(京マチ子)の住む屋敷で体験する夢か現かの出来事だ。こうした現実の底を抜いたような表現は、もともとアジアの文化では支那を中心に一般的なものであって、たとえば古今和歌集の「世の中は 夢かうつつか うつつとも 夢とも知らず ありてなければ」(よみ人しらず)などの歌がたくさんあるし、そもそも「雨月物語」も明の時代の白話小説が種本(いわゆる元ネタ)である。こうした北東アジアの宗教観に基づく"物の見方"が欧米人にとって鮮烈なイメージとなるのだろう。
さて、溝口健二という監督は女の描写が独特である。平たく言えばマザコンなのだろう。ヨーロッパでは特にイタリアとフランスで受けが良かったのだが、どちらも貧しい農業国でマザコン国家である。"男の放蕩によって虐げられる女"というモチーフもこうしたお国柄に合致している。フランスでは「雨月物語」などがヌーヴェル・ヴァーグの火付役になったのだが、それも当然なのかもしれない。
設定もシンプルで良かった。主人公の源十郎は妻(田中絹代)のために焼物を一生懸命につくる実直な男で、その妹(水戸光子)の旦那、藤兵衛(小沢栄)は、"侍になりたい"が口癖の、頭の悪そうな男である。源十郎は金銭のために白日夢を見て妻を失い、藤兵衛は侍になるという名誉のために妻の貞操を汚された。犠牲の話である。欧米でも文学における"犠牲"は主たるテーマだ。脚本の川口松太郎の手腕でもあるだろう。
先ほど少し触れたが「雨月物語」の"蛇性の婬"の元ネタとなった明代の白話文学は、もともと伝説として長く語り継がれてきた"白蛇伝"という話が基になっている。古典には人類の知恵が詰まっている。だからいつの世でも、どこの国でも、人の心を打つのだ。マーティン・スコセッシやアンドレイ・タルコフスキーは「雨月物語」を大好きな映画トップ10に入れている。
では、アジア人たる今の日本人は、映画でも文学でも、どれだけ古典を知っているだろう。僕は温故知新という言葉が好きだ。
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