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砂の谷のナウシカ / 「DUNE/デューン 砂の惑星」

すったもんだの末にようやく製作費を集めたドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の映画「DUNE」とは、映画スタジオが「スター・ウォーズ」に代わるSFシリーズを切望して生まれた"商品"である。主演に選ばれたティモシー・シャラメは特に女から人気があるらしく、まだ28歳だ。ホワイトアスパラガスみたいな男だが、近頃はこういう見た目がウケるのだろう。「指輪物語」や「ハリー・ポッター」シリーズのように、続篇を制作するだけで儲かる金のなる木をワーナー・ブラザースは育てようとしている。
さて、こうしたSFと呼ばれるジャンルは、物語の舞台が現在の地球ではない。多くのアニメと同様に、特殊な設定がなされているストーリーだ。たとえば、僕がSFで唯一尊敬している作家フィリップ・K・ディックは、記憶というテーマと、ロボットと人間の差という問題意識を表現するために、その舞台を未来にする必要があった。ところが、多くのSFあるいはアニメは、架空の世界を設定する必然性を感じない。つまり、なぜアラビア半島ではなく惑星アラキスなのか、なぜ惑星間の移動が可能なのに皇帝がふんぞりかえる政治体制なのか、そうした物語の土台について疑問ばかり浮かんでしまう。
しかしこうした設定は、観客にとって問題を簡略にする効果はある。惑星アラキス(通称デューン)でしか採取できないメランジ(スパイス)を巡って、ハーコネン家が乗り込んできた!きゃー!という、もはや桃太郎レベルの筋書きにできるからだ。「スター・ウォーズ」があれだけ世界中でファンを獲得した理由は、敵と味方がはっきりと分かれた世界だったからだ。現実の地球ではそんなストーリーはありえない。つまり、SFではない物語とは、どこまでも実現性あるいは現実感が追いかけてくるが、SFだもんねという設定にするだけで、もはや何でもアリになる。現実を生きる観客に何かを伝えようとする時に、なぜ何でもアリの世界をでっちあげる必要があるのだろう。親子も愛も政治も、この地球にあるものだ。
さて、リンチ版「デューン/砂の惑星」から大きな変更があった。それは白人以外のキャストを大勢参加させたことだ。ラテン系や黒人、アジア人などがスクリーンに頻繁に登場する仕上がりになっている。これはただの"配慮"である。そもそも白人が描くSFとは、白人が支配する世界を思い描いているし、多くの白人とは無意識に自分たちが支配層だと感じている民である。それゆえ、ゼンデイヤのオナラを我慢しているような顔を長いこと見せられることになる。
コスチュームもまた現代的になった。ヨウジヤマモトかコムデギャルソンみたいな衣装を着てスタイリッシュである。ホドロフスキーが本作を観たら「こんなのDUNEじゃないよガハハ」と笑うことだろう。これはフランク・ハーバートが書いた「DUNE」ではなく、それを踏み台にして映画シリーズにするための商品化なのだ。それが悪いことだとは思わない。ビジネスとはそういうものだ。
視覚効果はもちろんのこと、映像は美しく、リンチ版と比べると技術の進歩はめざましい。すでに続篇の制作も決定しているらしく、これからしばらくは「DUNE」シリーズが映画界の一つの目玉商品になるだろう。
しかし、実にいただけないことに、こういうストーリーでありながら主要キャストにイスラム圏の俳優、アラビア語が母語のキャストを採用していない。砂漠が舞台なのにキリスト教徒ばかりである。せっかく世界各地から俳優を集めたのに、これでは逆に"参加していない民族"が目立つことになる。
さておき、「DUNE」の原作は「風の谷のナウシカ」や「スター・ウォーズ」など多くのクリエイターに影響を与えた。それはおそらくベトナム戦争の真っ最中のアメリカから生まれた、ある種の終末論じみたトーンがあったからだろう。当時はヒッピー文化の全盛期なのだから、スパイスというアイテムや青い眼などの設定を考慮すると、フランク・ハーバートはマジックマッシュルームをやりながら本作を考えたような気もする。(注釈:マジックマッシュルームは傷つけると青く変色する)
そもそも、こういう何でもアリのSFのストーリーは、特に解釈が自由になる。封建制のような政治体制であったり、資源を巡る争い、ベネ・ジェセリットたちのような女によるコントロールや優生学など、いくらでもテーマを拾い出すことが可能だ。ところが、そうしたテーマを考察する時に、でっちあげの世界は必要ないだろう。人間が住むこの地球上に全てあるものだ。その気になれば「グラディエーターにおけるジェンダーフリー」なんてバカげたことも書くことができるくらい、人間は地球で様々の問題に日々接しているのだから、フィクションの世界を構築するならせめてディックのようにテーマをはっきりさせるべきだと思う。この惑星とあの惑星が争っています、のようなストーリーを開陳されても「うるせぇバカ」である。実際に起きた戦争について知る方が"映画みたいだ"という感想を抱くものだ。
というようなことを書く僕のような奴は「DUNE」のファンにはならないので、この地球を舞台にしたフィクションを今後も楽しみたい。

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