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こういう映画も観てあげて / 「バイス」

サタデー・ナイト・ライブの脚本などを担当していたアダム・マッケイは、ウィル・フェレル主演のコメディ「俺たちニュースキャスター」シリーズで名を揚げ、その後も「マネー・ショート 華麗なる大逆転」(2015)や「ドント・ルック・アップ」(2021)などの作品で監督と脚本を務めている。コメディの出身ゆえに"客を飽きさせない"ようにテンポよく撮る手法が活かされていたのが、2018年に監督と脚本と製作を担当した「バイス」(原題は Vice)だ。
まだ存命している政治家の人生を撮ることも異例だが、アメリカの国外では有名とは言い難い"元副大統領"を扱うという、作り手の意気込みが感じられる野心作である。たしかに、20世紀の後半から21世紀にかけてのアメリカの政治を俯瞰すると、いつもそこに幽霊のように存在していたのがディック・チェイニーである。マッケイ監督はこのチェイニーという政治家の人生を追いかけることで、アメリカを動かすホワイトハウスの中でどのような力学がはたらいていたのかをコメディ調で伝えようとした。
この映画は、カートという名の退役軍人が語り手となる。ところどころにカートの解説が挿入されつつ、物語は若きチェイニーがホワイトハウスに職を見つけてから出世していく様を手際良く紹介していく。チェイニーを演じたのは、役のために体重を大幅に増やしたクリスチャン・ベールだ。これはまさしく快演である。ほとんどチェイニー本人だと錯覚してしまう。後述するが、本作を主要部門で受賞させなかったアカデミーはクズである。全く信用できない茶番の賞であることを内外に示した。
途中で冗談のエンドクレジットを流してみたり、マッケイ監督はとにかく客に飽きさせないよう一生懸命だったことが分かる。政治がテーマであり、なおかつチェイニーという悪名高い男を描く映画なのだから、少しでもコメディ風に処理することで楽しんでもらおうという意気を感じた。
映画の終盤においてチェイニーは何度目かの心臓発作に襲われるのだが、そこで語り手のカートは交通事故で死亡し、その心臓がチェイニーに移植されるというエピソードが描かれる。チェイニーは実際に2012年に心臓の移植手術を受けている。映画の語り手の心臓がチェイニーに渡されるという筋書きは非常に巧みである。そしてこの後に、"主演"しているチェイニーは第四の壁(fourth wall)を破って観客に向かって、キャリアの中で何も後悔することはないという告白をする。このシーンによって、この作品はあくまでも映画あるいはフィクションであることを観客に念押ししているのだが、こうした編集によって、描かれたことの真実味が逆に増している効果もある。セリフなどを除けば、おそらくほとんどのシーンはノンフィクションである。この映画は事実を脚色したに過ぎない。ホワイトハウスの中で暗躍していたチェイニーという男はこういう奴だったのか、という理解で構わないのだ。
エンドクレジットの途中で複数の人たちが本作について議論を交わしているシーンが挿入されるのだが、そこで一部の者は「ワイルド・スピード」シリーズの新作の方が気になる、という発言をしている。これは監督の諧謔でありつつ、しかし事実でもある。政治の中枢について考えてみてくれ、という話より「ワイルド・スピード」というIQゼロの映画の方に多くの人の興味、時間、お金が使われ、「バイス」のような映画は観てももらえない、という現実がある。こうした"大衆の無関心"というテーマは、本作の次にマッケイ監督が脚本も務めた「ドント・ルック・アップ」でも題材にされていた。僕はこういう問題意識を持っている人物が好きなので、これからもマッケイ監督作は観るつもりだ。
さて、本作は2019年の第91回アカデミー賞において、作品賞、監督賞、主演男優賞(クリスチャン・ベール)、脚本賞を逃し、メイクアップ&ヘアスタイリング賞のみの受賞となった。存命中の有力者を扱った映画であり、しかもワンランク下に見られがちなコメディでもある。映画芸術科学アカデミーは Black Lives Matter と騒げば黒人がテーマの映画を選び、アジア人へのヘイトクライムが流行れば「パラサイト 半地下の家族」や「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」を受賞させるような日和見の風見鶏である。「バイス」は非常に良く出来た映画であるのに、興行収入も悪く、評価もされていない。もったいないことだ。21世紀の過小評価されている映画ランキングがあれば、本作は間違いなく現在首位だろう。
アカデミーのような"権威"からのお墨付きなんて映画には不要だし、我々観客はじぶんで面白い映画や小説を見つけにいかねばならない。なぜなら、周囲の人に面白い映画を訊ねてみても「ワイルド・スピード」なんて答えがかえってくることの多い世の中だからだ。

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