ネオレアリズモの集大成 / 「若者のすべて」
戦後から1960年頃までイタリアの映画界を席巻したネオレアリズモという運動は、ひどく荒廃した世の中の現況をありのままに表現しようという、イタリア共産党とも近しい流行だったが、フェデリコ・フェリーニ監督はひと足早くここから離れ、1960年に「甘い生活」を発表した。その同じ年、ルキノ・ヴィスコンティ監督はネオレアリズモの総決算のような映画「若者のすべて」を撮った。
なお、原題は Rocco e i suoi fratelli であり、この英語の題名は Rocco and His Brothers、すなわち「ロッコとその兄弟」である。映画「ベニスに死す」を監督したヴィスコンティ監督の作品なのだから、この題名を見ればトーマス・マンの著した「ヨセフとその兄弟」をもじったんだな、と分かる。「若者のすべて」などという勝手な題をつけてしまうと、こうして大切な情報が消えてしまうのだ。
さて、この映画はルカーニアと劇中で呼ばれているイタリア南部、今日のバジリカータ州からミラノへ出てきた家族の話である。南北問題と名付けられるイタリアの貧困をモチーフにして、ヴィンチェンツォ、シモーネ、ロッコ(アラン・ドロン)、チーロ、ルーカという5人兄弟の都会での姿が描かれているのだが、この兄弟の苦労が実は母親ロザリアのせいであるというところがヴィスコンティ監督の冷徹な視点だった。つまり、我が息子たちを愛おしむ良き母のように振る舞っていながら、故郷を離れて長男ヴィンチェンツォのところへ一家で向かうと決めたのは母だった。息子たちは故郷へ帰りたいと口にするものの、劇中で母は夫が存命中から都会に出てみたかったと白状している。そして息子たちに金を持って帰って来いと言い、気に入らないことがあると泣き喚く。ヴィスコンティ監督はこうしたイタリアの"マンマ"によって息子たちの成長が妨げられている様をじっと撮っていた。
長男ゆえに早々とマンマの元を離れたヴィンチェンツォは既に家庭を持ち、兄弟の中でもっとも都会に馴染んでいた。次男シモーネは娼婦ナディアを巡って弟のロッコと険悪な仲になり、やがて身を持ち崩すことになるのだが、これはロッコのせいでもあり、母ロザリアのせいでもある。息子がかわいいあまりに、シモーネの放蕩を許し、挙げ句の果てには殺人まで隠蔽しようとした。
冷静なチーロはこの長い物語の最後に、都会暮らしによってシモーネが破滅してしまい、ロッコの聖人のような優しさもそれに輪をかけたとルーカに説明していたものの、それらの出来事全ての背後にいたのは母ロザリアなのだ。ロッコの祝勝会において玄関の呼び鈴を気にしていたように、歓迎されていないシモーネを呼び出したのは母である。つまり、チーロは母とロッコがかばったシモーネを逮捕させ、そのことによって傷ついた末弟のルーカが母に悪い感情を抱かないよう、母をかばったのだ。
貴族出身のヴィスコンティ監督にとって、イタリアの"マンマ"によって引き起こされている苦労や悲劇がたくさんあると感じられたのだろう。映画の題名にもなっている主人公ロッコはどこまでも母と兄の側に立ち、そのことによってまるで聖人であるかのように描かれるものの、しかし同時に観客はそんなロッコの姿を見て、君は君の人生を生きるべきではないのか、と感じてしまう。つまり、家族という単位によって潰されてしまう人生の悲劇である。
イタリア映画を代表する名作である。ふざけた邦題は「ロッコとその兄弟」に変更して、日本の若者たちにもぜひ観てほしい一作だ。