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何度もジーザスと言いたくなる / 「ベン・ハー」

誰かから話しかけられ、気付けば何やら怪しげな宗教の勧誘だった、という経験は誰にでもあるものだろう。アカデミー賞の11の部門で受賞するという記録を残した1959年の映画「ベン・ハー」は、戦車のレースを見ていたはずがキリスト教の素晴らしさを称える入信ビデオだったという作品である。アメリカの小説家が19世紀に書いた原作では Ben-Hur: A Tale of the Christ のように副題で"キリストの物語"と記してあるのだが、映画化に際して副題が目立たぬよう処理されているため、アカデミー賞の記録をつくった映画らしいゾ、なんて気分で鑑賞すると面食らうことになる。なお、「八十日間世界一周」など昔の長い映画の例に漏れず、本作も overture(序曲)、intermission(休憩)、entr'acte(幕間)が挿入されているのだが、そこで背景に使用されている絵画はミケランジェロの「アダムの創造」である。

いまからキリスト教の素晴らしさをお伝えするよ

まず、1959年の娯楽大作ということは、文字をほとんど読むことのできない人でも楽しめるように制作されている、ということだ。本作の3年前のアカデミー作品賞は「八十日間世界一周」である。同時期にヨーロッパの映画ではフェリーニ監督やルイ・マル監督が活躍していたことを考えれば、アメリカにとって映画というものはエンターテイメントそのものであったことが分かるだろう。もっと分かりやすく言えば、アメリカ映画の主流は教育のない者を楽しませて金をとるビジネスとして舵を切ったということだ。こうした傾向は後にウディ・アレンやデヴィッド・リンチをはじめ多くの映画監督たちに批判された。
それゆえ、映画「ベン・ハー」の台詞はほとんど説明である。登場人物たちの心情や置かれている状況、今後の展開などが全て俳優たちの口から語られる。裕福なユダヤ人である主人公ベン・ハー(チャールトン・ヘストン)が、ローマ帝国の司令官として再びエルサレムに戻ってきた幼馴染メッサラと対立し、無実の罪を着せられてガレー船の漕ぎ手にさせられるーー、という、intermission(休憩)までは誤解の余地もないほど単純なストーリーなのだが、もはや学芸会かと錯覚するほど台詞は何かを説明している。要するにマンガである。仕草や目線など、音声(台詞)に頼ることのない情報の伝達は全く切り捨てられている。
そしてナザレという町で大工らしき長髪の男が、倒れたベン・ハーに水を与える。ナザレで大工の男とはもちろんイエスであり、スクリーンに映らないイエスの顔を見たベン・ハーが"おお"とでも言うような顔をするのだが、ジーザスと言いたいのはこちらである。見知らぬ男の顔を見て感動するとはどういうことなのか。

ここからマジで入信させちゃうからね

「ベン・ハー」の代名詞とも言える有名な戦車レースのシーケンスは、幕間の後にやってくる。ユダヤを代表するベン・ハーがローマ帝国のメッサラにレースを通して復讐を果たそうとする名場面なのだが、実はこの撮影は監督ではなく第二班が担当していた。この第二班で助監督として撮影に関わっていたのが、セルジオ・レオーネ監督である。映画「ベン・ハー」を観れば、この場面がまるで別の作品のように感じられると思うが、それは担当者が異なるからである。
さて、主人公ベン・ハーが濡れ衣によって囚われ、ローマ帝国の軍人によって解放され、復讐を遂げるという筋書きは「モンテ・クリスト伯」のコピーである。ただ、それだけだとあまりにもパクリに過ぎないので、イエスが登場する。メッサラに復讐を遂げたベン・ハーは同じく罪を着せられた母と妹に再会しようとするも、両名ともに癩病(leprosy)を患い、the Valley of the Lepers(癩病の患者たちを隔離した谷)で暮らしている。病名を勝手に変えることが大好きな日本列島ではハンセン病と言い換えているが、これは一般名詞(noun)と差別/中傷表現(slur)の区別ができない知性による余計なお世話である。英語では今も昔も患者は leper だ。この母と妹の病が、イエスに出会ったことによって治ってしまうのだ。飲んでいたコーラを盛大に吹いても構わない展開である。そしてイエスが磔になり、血が大地を染める頃、ベン・ハーは信仰に目覚めて映画は幕を下ろす。「モンテ・クリスト伯」のユダヤ人バージョンを観ていたはずが、ただの勧誘ビデオとして終わる。212分もの物語がこれでは、喜ぶのは信者だけだろう。このアカデミー賞の記録をつくった超大作について僕が誰かに説明するなら「幕間の後の戦車のシーンだけ観ろ」と言う。1959年のキリスト教徒たちはこれが"面白い"のかもしれないが、21世紀の観客が本作に3時間以上もの時間をつかうことはない。
アメリカにおける同期の映画は「お熱いのがお好き」「北北西に進路を取れ」「尼僧物語」「年上の女」「或る殺人」などであり、これらの映画を完全に抑えて「ベン・ハー」が11部門で受賞するなんて、まさにジーザスな事態である。ちなみに、ヨーロッパではフランソワ・トリュフォー監督が「大人は判ってくれない」を発表し、イングマール・ベルイマン監督の「野いちご」が公開されている。ヨーロッパでは映画は芸術として認知されていたものの、アメリカという国では映画は"みんなを楽しませる"エンタメの要素がなければならないという傾向がはっきりしてきた頃の大作である。だからビジネスとして成長し、今や市場の大半がエンタメになったのだ。映画はアートでもあってほしいと僕は願っているので、少しでもアートの要素を入れようとしているポール・トーマス・アンダーソン監督やイニャリトゥ監督たちは、ぜひ今後もハリウッドで活躍してほしい。

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