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Yokohama へようこそ / 「八十日間世界一周」
なぜ、外国人観光客は鎌倉の大仏や平安神宮が好きなのか。もちろん、観光ガイドブックに掲載されているからだろう。ではなぜ、牛久の大仏と明治神宮ではなかったのか。それはおそらく、アカデミー賞の作品賞を受賞した1956年の映画「八十日間世界一周」で描かれた"Yokohama"が、鎌倉の大仏と平安神宮での撮影だったからだ。当時まだ珍しかったカラー映像を観て、日本を訪れるなら是非ここへ、という外国人は多かっただろう。ちなみに、本作の物語は1872年に設定されているので、当時まだ平安神宮は創建されていない。このことに気付く日本人はきっと少ないだろう。
風変わりなイギリス紳士、フィリアス・フォッグ(デイヴィッド・ニヴン)が従者のパスパルトゥ(カンティンフラス)を連れて、80日間で世界を1周してやる、と紳士クラブのメンバーたちと賭けをして旅立つ、というただそれだけの話なのだが、これを1956年にカラー映像で観ることができたのだから、当時の観客は世界旅行をしている気分になったことだろう。映画館というものが、数少ない"エンターテイメント施設"だった頃の大作である。
この物語はスエズ運河を越えてインドへ行き、そこから香港を経由して日本へ寄港するのだが、要するにイギリスを発ってから日本までほぼ大英帝国の領土内を通過あるいは経由している、ということが肝である。The empire on which the sun never sets(太陽の沈むことのない帝国)と呼ばれた所以だ。ただ、本作のメインはアメリカに着いてからのシーケンスでの皮肉めいた描写にある。
フォッグ一行がアメリカに上陸すると、街行く人たちがすぐに喧嘩を始め、懐からナイフを取り出すなど、物騒な国として描かれている。そして男たちがダイナーのようなところで立ったまま食事をし、作法も特に無いまま大量に食べ物を口に詰め込んでいる。こうしたシーンを観た当時のアメリカ人たちは、自分たちが世界のなかでどのように見られているのか実感したことだろう。ちなみに、ホステスとしてほんの少しだけ登場した女はマレーネ・ディートリッヒであり、ピアノを弾いていた男はフランク・シナトラである。こうしてカメオ出演をしている著名人が本作にはたくさん登場する。
さて、汽車がサンフランシスコを離れるとすぐに先住民たちが弓矢を携えて列車を襲ってくる。大英帝国は海外の領土から搾取をしているが、アメリカ人は先住民から土地を奪っているという皮肉である。「八十日間世界一周」という映画はアメリカがいちばん魅力のない国として描かれているのだが、それが大ヒットして作品賞を受賞するのだから当時のアメリカはかなり健全である。
ただの娯楽作品なので上映時間も182分と長いが、気軽に"ながら鑑賞"して構わない映画である。今から70年前の人たちにとっては、こうして世界各地の風俗を眺めることが楽しみだったのか、と、時の流れを感じる映画である。誰もがスマホを覗き込んで"SDGs"などと言っている昨今もまた、70年後の人たちにとってはバカバカしいことになるのだ。80日間もあれば世界を何周できるのか分からないほど便利になった。娯楽も山ほどある。映画なんてCGだけで制作できる。しかし人はそう変わるものではないのだから、愛や裏切りなど、人間の根源に当たるところを映画は描いて欲しい。