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どうしても色の問題になってしまう友情の話 / 「グリーンブック」
Black Lives Matter (黒人の命も大切だ)運動は2014年頃から活発になり、全米を巻き込んだデモとなった。白人警察官による黒人への過剰な暴力が、警察のボディカムの普及によって言い逃れできなくなったことが大きい。いわゆるジム・クロウ法(黒人への差別を合法とする南部の州の種々の法律)によって、19世紀から黒人への差別はアメリカで"当たり前"のことであり、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアやマルコムXの暗殺などを経てもなお、黒人たちはアメリカという社会で軽んじられてきた。ジャズやヒップホップという文化はこの差別への抗議と切り離して考えることはできない。
BLM運動の最中、2018年の映画「グリーンブック」はアカデミー作品賞を受賞した。黒人のピアニスト、ドン・シャーリー(マハーシャラ・アリ)が、白人の用心棒トニー(ヴィゴ・モーテンセン)を連れて、ジム・クロウ法がまだ存在した南部への演奏ツアーに出かける、という実話に基づいたストーリーだ。映画で描かれた時代(1962年)には、黒人の旅行者が"安全かつ快適に"過ごせるよう、モーテルやレストラン、ガソリンスタンドなど、不当に差別されることのない店を紹介したグリーンブックという本が毎年改訂されつつ出版されていた。
こうしたストーリーはBLMあるいは黒人差別と切り離すことのできない筋書きになったいるが、映画そのものは、あくまでも友情の話である。粗野なイタリア系の男が、当初は黒人の依頼主に顔を顰めつつも、やがて互いの違いを認め合う仲になるという話だ。これが2018年に発表されたので、映画があまりにも政治的に受け取られてしまったきらいがある。映画の原作を持ち込んだトニーの息子も、BLM運動の中なら親のストーリーが受け入れられやすいだろうと思ったに違いない。
こうした映画が避けられない批判が white savior (白人の救世主)である。白人の主人公が、白人ではない人種の者たちを窮地から救う、という物語の類型である。確かに、明確に人種差別の意識に基づいて撮られた白人の主人公モノは少なくないのだが、この white savior という言い回しを神器のように扱っていると、白人を主人公にしたストーリーに有色人種を登場させることが難しくなってしまう。たとえば、ジム・クロウ法が無くなった後の映画でも「インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説」「ミシシッピー・バーニング」「ダンス・ウィズ・ウルブズ」「評決のとき」など、白人が有色人種を救うというテーマは観客に好まれてきた。それは白人の中には白人こそ savior であると感じている図々しい人が少なくないという事実があるからで、これはキリスト教という厚かましい宗教と無関係ではない。つまり、誰か困っている人を救う主人公は white でも black でも、何色でも構わないのだから、white savior と言っていると表現が狭まってしまう危険がある。クエンティン・タランティーノはBLM前夜に当たる2012年に「ジャンゴ 繋がれざる者」で黒人の主人公に活躍させるウェスタン映画を撮った。さすがである。
しかし「グリーンブック」のヒットの裏側で、ドン・シャーリーの遺族は、映画で描かれたような事実はない、ドンとトニーは友人ではない、と申し立てた。おそらく劇中でドンの同性愛を表現されたことに激怒したのだろうが、こうした実話に基づく映画の難しいところである。映画は映画だ、という意識を当事者が持つことは困難だろう。劇中で描かれたような友情がきっとあったのだ。映画はスクリーンの中の絵空事である。そこから何かメッセージを受け取れば、それで充分なのだ。
「グリーンブック」はアカデミー作品賞に値する映画である。ヴィゴの演技も妙にハマっていて、最後まで楽しめる作品だ。