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マディソン郡の橋だっけ / 「愛と哀しみの果て」

今日でも世界中の映画ランキングに入選している黒澤明監督の傑作「乱」が公開された1985年、アカデミー賞の作品賞を受賞したのはシドニー・ポラック監督の映画「愛と哀しみの果て」である。黒澤監督は監督賞にノミネートされたものの、受賞したのは本作のポラック監督だ。では今日、この映画について言及する人がいるだろうか。アカデミー賞が人種差別の祭典であることは言うまでもない。しかし「乱」のようなアートは、映画監督や優れた記者たちが何度も推薦することによって、その芸術としての価値が世の中で認知されていく。アートを楽しむ人はいつも少数なのだ。「シビル・ウォー アメリカ最後の日」のような映画を観て"衝撃"だの"白熱"だの"興奮"するような人は、「乱」を観ても痴呆の老人が徘徊しているだけの駄作にしか見えないだろう。
さて、Out of Africa の話である。Out of Africa という題の映画を「愛と哀しみの果て」と訳した者は豆腐に頭でもぶつけたに違いない。そしてこのふざけた邦題を裁可した責任者たちはおそらくアルファベットを読むことができないのだろう。我が国の"映画村"とはこのレベルである。
「愛と哀しみの果て」はほぼ実話に基づいたフィクションである。原作の小説の著者であるカレン・ブリクセンの、イギリス領東アフリカ(今日のケニア周辺)での日々を描いた"不倫"の物語だ。また不倫である。白人の女は不倫が大好きなのだ。中流階級以上の出身であれば恋愛結婚が少ないのだから当然である。主人公カレン(メリル・ストリープ)が現地で夫の男爵との関係がうまくいかず、気ままに生活しているデニス(ロバート・レッドフォード)に恋をしてしまうという少女漫画だ。
メリル・ストリープという女優はずいぶん"大女優"になってしまったものの、1978年の「ディア・ハンター」での鮮烈な初々しさが記憶に新しいうちに、有名な俳優たちと共演したことがキャリアを形成した。1979年の「クレイマー、クレイマー」でダスティン・ホフマンと共演し、1982年の「ソフィーの選択」で演技力を遺憾なく発揮し、そして「愛と哀しみの果て」でロバート・レッドフォードの相手役となった。ここまでたった7年である。あとは現代に至るまで、いつも同じ顔で同じ演技である。「プラダを着た悪魔」のようなコメディ調の映画の方が似合っている。
ケニアの大自然の雄大だけが美しい。登場人物たちは不要なので、そのままカメラでケニアの大地を映していてくれと思う。不倫したけど結局デンマークに戻ります、という傷心に終わる少女漫画が作品賞を受賞し、黒澤明監督は手ぶらである。日本人は"アカデミー賞"のような権威に弱い種族だが、この程度の代物なのだと知っておいた方が良い。パルム・ドールの方がまだマシだったものの、あちらも最近は様子がおかしい。
しかし本作を作品賞に選んで目が覚めたのか、ここから10年は「ラストエンペラー」や「羊たちの沈黙」など名作がズラリと並ぶ。まだアメリカ映画もアートが元気だった頃である。

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