戦争しながら命について考える / 「シン・レッド・ライン」
哲学書のような映画の代表作といえば、テレンス・マリック監督の1998年の映画「シン・レッド・ライン」だろう。第二次世界大戦の激戦地を舞台にした本作は、戦争映画でありつつ、最も戦争映画らしくない作品である。
1942年から翌年にかけて行われたガダルカナル島の戦いに従軍したジェームズ・ジョーンズの小説を原作にして、特にオーステン山の攻略戦を描いているのだが、この映画をパッと観るとBBCの地球ドキュメンタリー番組かと見紛うほど、大地や動植物の美しさを撮っている。そして、人も含めた生き物の mortality (死が必ず訪れること)について、登場人物の独白が続く。つまり、いずれ死を迎えるヒトが、互いに殺し合う羽目に陥っている現実について、冒頭から疑問を呈している。壮大な熱帯雨林や、鮮やかな色の鳥、地面を這うヘビなどを何度もスクリーンに登場させているため、そこで行われている戦闘がきわめて奇異なものとして映る。こうしたマリック監督の演出は、この作品を"スピルバーグ的"なものから遠ざけることに成功している。血飛沫も悲惨なシーンもなるべく排除し、背景の地球を撮ることで、そもそも"殺しあう"ということについて観客に考えるよう仕向けている。
つまり、この映画には正義の主役がいない。映し出されるものは、兵士の恐れ、苦しみ、迷い、そして死だ。敵国である大日本帝国の軍人たちもまた、米軍の若い兵士たちと同様に、恐怖に怯える人として描かれている。ここには正義も悪もなく、ただ虚しい死が転がるのみである。
映画のタイトルに使用された thin red line (細い赤い線)とはキップリングの詩の一節で、細かい説明を省略すると、要するに少数で勇敢に敵に立ち向かうことを意味する言い回しである。もちろん、オーステン山に向かっていった米軍の兵士たちを指してもいるのだが、これはガダルカナル島も含めた南洋の激戦地を走る赤道を意味してもいるだろう。それに、生き物たちが命を持っていることを考えれば、細く赤い線とは血管のことだ。
勇敢な米軍とか、卑劣な敵国とか、戦争映画にありがちなパターンを否定し、そこに生えている樹木や色鮮やかな鳥たちを撮り、the great evil について考えてみてくれというマリック監督からのメッセージになっている作品である。劇中のモノローグが効果的に使用され、戦争を見ているはずが、いつの間にか何かの教材を見ているような気分になってくる。つまり、観客はそれだけパターンに慣れているということだ。
戦争映画というよりも、これは命について考える映像である。
そして本来であれば、ガダルカナル島をはじめ各地で戦争をした日本人がこうした映画を撮らねばならないのだ。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?