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敵を殺す話 / 「プラトーン」

昨日の「ミシシッピー・バーニング」と「ワイルド・アット・ハート」でウィレム・デフォーの出演作が連続したので、良い機会だからウィレムの出世作である1986年の映画「プラトーン」について書く。
この映画はオリヴァー・ストーン監督自身の体験に基づいている。ストーン監督はイェール大学を中退し、1967年から翌年にかけてアメリカ陸軍の兵士としてベトナムへ出征した。本作の脚本は当時の体験をもとにして書き上げられている。ハリウッドで描かれる"勇敢な正義の使者"のような軍の描写を拒否し、「プラトーン」は戦争で露呈する人間の醜悪な部分を観客にまざまざと見せつけた。
本作は新兵クリス(チャーリー・シーン)を主人公にしていながら、実際はバーンズ軍曹(トム・ベレンジャー)とエリアス軍曹(ウィレム・デフォー)の対立を見せることが主眼になっている。
作戦の最中に民間人を殺傷するバーンズ軍曹を軍法会議に送ろうとしたエリアス軍曹はバーンズによって撃たれ、救出が遅れたことで命を落とす。実際に、アメリカ軍は山のようにベトナムの民間人を殺している。アメリカに対立するベトコンである可能性を排除できないからという名目だ。キューブリック監督の「フルメタル・ジャケット」でも描かれていたが、どこから誰が襲ってくるか分からない恐怖は、人の神経を参らせてしまうものだ。
もちろん道徳あるいは外野の視線で言えば、エリアス軍曹が"正しい"のだが、疑心暗鬼になって味方を守るために民間人と思しき民を殺してしまうバーンズ軍曹が"悪"であるとは言い難いのも事実だ。世界中で戦争犯罪がなくならない理由の一つは、身内のためなら他人は殺すという生存本能によるところが大きい。バーンズ軍曹にとっては、ベトナム人よりもエリアス軍曹こそが"敵"だったのだ。
こうした味方同士の諍いから、戦地でどさくさに友軍を射殺するということはベトナムで頻繁に発生していたそうだ。アメリカの観客は観たくないものだろう。こうしたことについて観客に考えさせるだけでも「プラトーン」という映画には大きな価値がある。人の価値観に何かを問いかける作品ほど良い映画だ。
日本軍は「プラトーン」のような映画を100本は作れるほどバカな作戦を各地で展開したものの、今日そのことを知る国民はほとんどいない。組織が巨大になるほど、バカが上に立つと碌なことにならないという当たり前の事実を教訓として受け入れていないことは、務めた年数によって役職がもらえることを当然だと思っている無能の発想のおかげである。年功序列を廃止するだけで日本の問題の多くは解決する。国家のあらゆる分野で60歳以上が実権を握っているなんて異常事態なのに、それがちっとも是正されないいちばんの理由は、多くの国民が自分もまた"そのうち偉くなる"ことを期待しているからだ。
「プラトーン」の3年後、ストーン監督は「7月4日に生まれて」を発表し、兵士たちの犠牲は政府による嘘のせいだったことを告発した。

こういう映画監督はなかなか出てくるものではない。人の価値観や倫理に問いかける作品は興行収入がイマイチになることが多いからだ。フィクションの設定で同情を誘うことは簡単でも、現実を反映した作品で勝負することは容易ではない。多くの反対や罵倒にも耐えなければならない。ちなみに、「プラトーン」と「7月4日に生まれて」は、どちらも興行収入で大成功している。ストーン監督の問題意識が、多くのアメリカ国民の心に届いた証拠である。

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