制作する前の出来事の方が面白い / 「デューン/砂の惑星」
映画を制作するということは、それが大作であるほど大勢のスタッフや多額の金が必要になるため、制作する前の出来事が映画そのものより面白いことがある。
「DUNE/デューン 砂の惑星」はまさにそうした、映画スタジオと制作者たちの悪戦苦闘の賜物である。
まず、ベトナム戦争中の1965年にフランク・ハーバートという売れない作家が「DUNE」というSF小説を刊行した。この小説はフランクがオレゴン州フローレンスを旅した時に、街のそばに広がる Oregon Dunes (オレゴン砂丘)と呼ばれる砂の地形からヒントを得て著されたものだった。この小説はそこそこ人気となり、1971年に「猿の惑星」などで知られる映画プロデューサーのアーサー・P・ジェイコブスが映画化の権利を取得した。ジェイコブスは「DUNE」の監督を「戦場にかける橋」や「ドクトル・ジバゴ」などの名作で知られるデヴィッド・リーンに打診するも断られ、他の監督を探しているうちに1973年にジェイコブスは死んでしまう。
すると、1974年にフランスのコンソーシアムが映画化の権利を取得し、アレハンドロ・ホドロフスキーが監督することが決まる。
ところが、ここからが大変である。ホドロフスキーは"快活なキチガイ"なので、芸術家のダリやオーソン・ウェルズに出演を承諾してもらい、視覚効果の第一人者などを呼び寄せて膨大な予算を制作前にもかかわらず使ってしまう。結局、ホドロフスキーの構想している「DUNE」は14時間にも及ぶこと分かり、ついにホドロフスキーは製作スタジオによってクビになり、全てがキャンセルされることになった。特殊効果スタッフのダン・オバノンはショックから精神病院へ入院するも、その治療の合間に書いていた脚本が後の映画「エイリアン」である。
これらの経緯は、U-NEXTにおいて「ホドロフスキーのDUNE」としてドキュメンタリーが公開されている。可笑しいのでオススメしたい。
さて、1976年になり、名物プロデューサーのディノ・デ・ラウレンティスがフランスのコンソーシアムから映画化の権利を買いとった。原作者のフランクに脚本を頼んだところ3時間ほどの映画になりそうなことが分かり、1979年にリドリー・スコット監督が雇われた。ところがスコット監督は映画を2部作にしなければならないと主張し、「これは準備に2年半は必要だ」と疲れ果てて監督を降り、1982年にSF小説を原作にした「ブレードランナー」を撮った。
リドリー・スコットが監督を降りたので、ディノは新たにデヴィッド・リンチ監督に頼んだ。リンチ監督は当時、「スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還」の監督も打診されていたのだが、それを断って「DUNE」を撮ることにした。
リンチ監督は「DUNE」をなんとか3時間に収まるよう撮ったものの、ユニバーサル・ピクチャーズはこれを2時間にカットし公開した。もちろん、惨憺たる出来である。もはや、何の話なのかすらよく分からないような、学生の卒業制作だとしても及第点をもらえないような駄作だ。リンチ監督はこの件に激怒し、次回作の「ブルー・ベルベット」ではファイナル・カットの権利を死守した。
アートをつくるということは、ビジネスと相容れない。
2021年と今年に公開されたドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の「DUNE」は完全にビジネスである。分かりやすく言えば、TOHOシネマズで観ることのできる映画は全てビジネスに過ぎず、アートはオンライン配信サービスで観るしかない。それが世の中の流れであり、当たり前でもあるし、仕方のないことだろう。