米軍は誰を守っているのか / 「セント・オブ・ウーマン」
アメリカという第二次世界大戦の戦勝国は、ベトナム戦争でひどく傷つき、それ以前と以後で様相が大きく異なる。1992年の映画「セント・オブ・ウーマン/夢の香り」はそのことを鮮やかに描きながら、人はどう生きるべきかということを観客に問うた快作だ。ちなみに、アル・パチーノは本作の演技でアカデミー主演男優賞を受賞した。
この映画でチャーリーという高校生を導くのは盲目の退役軍人フランクである。ベトナム戦争に従軍し、その後にジョンソン大統領のスタッフとして働いた過去があると明らかになる。つまりアメリカ社会のエリートだった。そのことはニューヨークのウォルドルフ・アストリアに泊まり、プラザホテルのレストランから五番街の店に至るまで、フランクの名前が通じることからも分かる。しかし、フランクは将軍に何度か推挙されたものの”口の悪さが災いして”中佐のまま退役した。このことは映画の最後の演説への伏線となっている。
フランクは劇中でも近寄りがたい人物として親戚にも敬遠されている様が描かれているが、話していることはどれも心の中に忠実である。ところが現代では、そうしたことより重んじられることがある。ベトナム戦争を終えたアメリカのニューヨークで盲目のフランクは、文字通り”取り残された”軍人なのである。旅の終わりに軍服を着て自殺しようとするフランクを必死に止めたチャーリーは、フランクよりも先に腹を括った。若い男に「諦めるな」と諭されたフランクの胸中には、ベトナムのジャングルが去来していたことだろう。
フランクは映画の最後の演説において、チャーリーより若い兵士たちが手や足を吹き飛ばされたが、魂を吹き飛ばされる者がいちばん見ていられないと言った。その魂とは何か。それをフランクは integrity と courage だと表現した。ちなみにこれはどちらもアメリカ陸軍で重要視される価値である。
つまり、品位や度胸を持って死地から生還してみれば、兵士たちが守っていた国家は snitch (チクり屋) だらけで、名門校までもがそういう連中を育てているとフランクは述べたのだ。演説の中で何度か rat (裏切り者) という表現も使っていたので、おそらくフランクはジョンソン政権下において"口の悪さが災い"して昇進できなかったのではなく、政権スタッフに裏切られたのだと推察される。なぜなら、ジョンソン政権はベトナムへの介入を拡大したからである。フランクは明らかに撤退派だっただろう。amputated spirit (切断された魂) を見たくなかったのだから。
また、これは学校の懲罰委員会のシーンなので、フランクは同時にアメリカの司法取引も批判している。他人を押し除けてでも自分が前に出る、という現代アメリカの生き方は、フランクをはじめアメリカの軍隊においては否定されることである。軍はいったい何を守っているのかーー、そうした余韻が残る名シーンである。
この映画の公開から約30年が経った。アメリカはいまだに snitch だらけの国で、エリートたちは皆なにかに執着し、疲弊している。大金を稼ぐためには、他人を押し除けなければならないとすれば、ユダヤ人はもっともそうした性質を持った民族なのかもしれない。昨今のガザを見ていると、そうとしか思えない。