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高慢と殺人 / 「ゴスフォード・パーク」
イギリスのカントリーハウスで殺人事件が起きるーー、という話を聞くと、ほとんどの人はアガサ・クリスティの小説のような、あるいはシャーロック・ホームズのような物語を連想するはずだ。ところが、ロバート・アルトマン監督はこれを見事に逆立ちさせた。すなわち、イギリスの物語において主人公たちの世話をしている名もなき従者や料理人など、使用人たちの目線から貴族の生活と殺人事件を描いた作品が、2001年の映画「ゴスフォード・パーク」だ。映画を通して世の中に皮肉や風刺を届けてきたアルトマンらしい作品である。
この筋書きを聞くと、大ヒットしたテレビドラマ「ダウントン・アビー」を連想する方がいるかもしれない。実は「ゴスフォード・パーク」の脚本をアルトマンから頼まれた上流階級の出身の俳優ジュリアン・フェローズが、映画のヒットを受けてスピンオフを制作しようと思い立ち、後に独立させたシリーズが「ダウントン・アビー」である。
さて、「ゴスフォード・パーク」が上の階にいる人たち(above stairs)よりも、下の階にいる人たち(below stairs)を中心に描いていることは、配役からもよく分かる。ケリー・マクドナルドやヘレン・ミレン、エミリー・ワトソン、デレク・ジャコビ、クライヴ・オーウェンなど、イギリスを代表する名優たちは皆、貴族ではなく誰かの従者や料理人の役である。これだけの名優をイギリスで集めることができたのも、アルトマンの映画なら是非出演したいという人気のおかげである。監督してきた作品のなかで"アメリカ的なもの"をバカにしまくっていたアルトマンは、世界三大映画祭で最高賞を受賞しているものの、アカデミー賞の作品賞や監督賞には生涯で一度も縁がなかった。本作は作品賞にノミネートされたものの「ビューティフル・マインド」が受賞作だった。ハリウッドの一匹狼(maverick)と敬称されていたが、要するに敬遠されていたのだ。
本作は、貴族という階級がいかに使用人たちによって生活を支えられているかということをしっかりと描いている。これはジェントリ出身の脚本家フェローズのおかげだ。そして貴族同士の見栄の張り合いや、使用人たちの上下関係など、泥臭い人間関係が下の階で明らかにされる。上の階ではいつも華やかに見えるよう誰もが演技のように振る舞っている。
また、アルトマンは1992年の映画「ザ・プレイヤー」と同様に、本作においても"自己言及"のジョークを採用している。すなわち、ゴスフォード・パークでのパーティに招かれた客としてアメリカの映画プロデューサーであるワイズマンという人物を登場させ、このワイズマンが撮ろうとしている映画が、まさにこの「ゴスフォード・パーク」を示唆しているという、入れ子のような構造になっている。しかも、ワイズマンを演じたボブ・バラバンは「ゴスフォード・パーク」の製作者の1人である。こうした手法は『イリアス』にも少し似たような表現があるくらい歴史のあるものだが、映画のなかではフェデリコ・フェリーニ監督が1963年の映画「8½」で使用して有名になった。自己言及について語ると長くなるので、その話はまた「8½」の記事で書くことにしたい。
貴族たちの身勝手な振る舞いや、醜悪な見栄の世界を描くことで、アルトマン監督は誰もが心のなかに持っている"高慢"を皮肉っている。どうみても2001年の作品賞は「ビューティフル・マインド」ではなく、本作であるべきだった。