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たまには古典も読んでね / 「恋におちたシェイクスピア」

世界でいちばん有名な愛の物語といえば「ロミオとジュリエット」だろう。1996年にはレオナルド・ディカプリオの主演で、舞台を現代のメキシコに移した「ロミオ+ジュリエット」なんて映画が制作されたくらいだ。ハリウッドでもヨーロッパでも、シェイクスピアから台詞を引用する作品は山ほど制作されている。

1998年の映画「恋におちたシェイクスピア」は引用という次元を越えて、「ロミオとジュリエット」を劇中での劇にしながら、本作そのものも「ロミオとジュリエット」の筋書きをなぞる、という実に手の込んだ脚本になっている。この劇中劇という手法(story within a story)はシェイクスピアの時代からよく使われたものだが、通常はストーリーと別の物語が劇中劇として展開する。ところが、本作は物語も劇中劇も、どちらも「ロミオとジュリエット」である。これは adaptation(翻案)というべき作品だ。
男装する女、うっかり人違い、幽霊、剣での決闘など、シェイクスピアの読者には馴染みのある要素をふんだんに入れ、主演のジョセフ・ファインズをはじめグヴィネス・パルトローやコリン・ファースたちがあたかも舞台での演劇のように飛び跳ねている。僕はミュージカルは大嫌いだが、本作は全員で歌ったりせず大袈裟に演じているだけなので、まだギリギリ許せる範囲だ。「レ・ミゼラブル」も「ラ・ラ・ランド」もオープニングクレジットが流れる頃には観ることをやめた。
僕は「恋におちたシェイクスピア」のようなアダプト、すなわち原作を下敷きにして細かい点を作りかえることに賛成だ。こうすることで、シェイクスピアなんて古臭いと思っている若者たちにも興味を持ってもらえるからだ。黒澤明監督の「羅生門」を観たことで芥川龍之介の小説を読んだ人も数多いだろう。曲亭馬琴や井原西鶴の作品なんてどんどん現代風にアレンジして映画にすればいいのに、と思う。
歌舞伎や狂言は"関係者"たちが現代人に合わせた興行をすることを拒否したせいで、誰も見ない国宝に成り下がった。良いものは良いのだから、音楽がサンプリングを通じて"リスペクト"を表すように、日本の映画は古典をどんどんサンプリングすべきだ。
さて、「恋におちたシェイクスピア」はアカデミー賞で作品賞を含めて7部門を制覇した。もちろん MIRAMAX の作品であることが大きな理由だが、この年は「ライフ・イズ・ビューティフル」や「プライベート・ライアン」「シン・レッド・ライン」「トゥルーマン・ショー」など、豊作の年だった。どう考えても作品賞は「恋におちたシェイクスピア」ではないだろうと思うのだが、これがハリウッドである。21世紀になるとますますひどくなり、作品賞は特に茶番と化している。しかしパルム・ドールもまた、「戦場のピアニスト」以来、受賞作が良い作品だという評判が聞こえてこなくなった。世界中どこでも、何かの縮小コピーのような映画が増えているのは、ビジネスのせいなのか、人間が縮小しているせいなのか。

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