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日本的な、あまりに日本的な / 「楢山節考」

深沢七郎の「楢山節考」を読んだ時は、ずいぶん辛気臭い話だ、という若者らしい感想しか抱くことができなかった。食べ物が豊かな四国の沿岸に由来する僕にしてみれば、東日本の山間部は姥捨だの間引きだの、まるで別世界であった。楢山節考という話は著者が山梨県の老婆から聞いた話が元になっているが、東日本の各地に似たような説話や姥捨に因む地名が残っている。これは多くの日本人の血の中に流れているフィクションだ。
今村昌平監督の1983年の映画「楢山節考」も、年を重ねてから観ると考えてしまうことが多い。この物語を覆っているものは、しきたりである。村の慣習、生活の風習、そうしたものが全てを浸している。母親のおりん(坂本スミ子)は楢山参りに自ら望んで行きたがり、辰平(緒形拳)は後家をもらうにしても楢山参りにしても受け身であり、このしきたりから逃れる術がない。ところが、しきたりとは人が勝手に拵えたものだ。劇中に幾度も登場する蛇やネズミたちのように、食物連鎖や交尾などの摂理に従ったものではない。こうしたしきたりに支配される姿こそが日本人の実情であり、それは今日でも変わっていないだろう。どこかから侵略者がやってきて云々という民族とは異なり、日本列島に住む人はその場を離れたがらない習性がある。これは江戸時代のように移動を実質的に禁じてきた政策のせいではなく、もともとしきたりのなかで生活したい民なのだ。そうでなければ、パスポート取得率が17%になる訳がない。しきたり民族だからこそ、法律よりも前例や慣習が重視されるのだ。
窃盗を親子二代で繰り返した雨屋と呼ばれる家(松やんの実家)が、"楢山さんに謝らせる"として一族が皆殺しにされるシーンが描かれていた。こうした村八分のような行為も日本人の得意技であり、それは村という単位で皆が同化していることが、しきたりの維持のために必要だからだ。これは今日の官製談合や、各業種の"業界団体"と呼ばれる連中がしていることを見れば明白だろう。住んでいるところが村からマンションに変わっただけで、今日でも村八分の大好きな国民である。
つまり、日本人はそれぞれの個人が主権者だと言われてもピンとこないはずである。しきたり民族なのだから、最小の単位は勤務先であり、PTAであり、顔を合わせる町内だ。「楢山節考」の衣装をスーツに変えて、舞台を関東平野にしても、このしきたりが支配する閉塞感のあるストーリーは成立する。そしてなによりも、実は多くの日本人は、こうしたしきたりの世であってほしいと内心望んでいるということだ。好きなところへ行って、やりたいことをしろ、と言われたら困り果てて指示を待つ者が実際は多い。これはしきたり民族の習性である。
さて、辰平はおりんを背負い、慣習に従って親を山に捨てることになる。これが食い扶持のためだからこそ、山間部で無闇にセックスするなバカと言っても始まらない。こうして繋いできた血を受け継ぐ者は現代の日本に決して少なくない。村八分をしたり、親を捨てたりした記憶がDNAに刻まれている。こうした貧しい日本を見たくないからこそ、戦後に日本は政府と農協が結託して「日本人といえば米と味噌汁」という真っ赤なウソを全国にばらまいた。この貧しいフィクションこそが本当の日本の姿に近く、空調の効いた部屋で本作を観て「貧しいねェ」と言う人は、実は「楢山節考」の登場人物とどこも変わらないことに気付いていないだけだ。しきたりのなかで生きるしかない辰平の姿こそが日本人そのものである。
本作は東映の映画だが、同じ年に松竹が「戦場のメリークリスマス」を発表し、どちらもカンヌ国際映画祭に招待された。下馬評は「戦場のメリークリスマス」の方がはるかに高かったそうだが、パルム・ドールを受賞したのは「楢山節考」だった。松竹の関係者たちがカンヌに大勢乗り込んでどんちゃん騒ぎをしたことも一因だと思うが、おそらく「楢山節考」はどこまでも"日本的"だったことが審査員に評価されたのだろう。

「戦場のメリークリスマス」は普遍的なことを描いている。それに対して「楢山節考」は舞台も登場人物も、劇中の美しいとは言えないセックスも含めて、どこまでも日本的な、あまりに日本的な作品である。

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