コッポラ監督のお気に入り / 「カンバセーション…盗聴…」
おそらく世界で最も有名な映画「ゴッドファーザー」を1972年に発表して富と名声を手にしたフランシス・フォード・コッポラ監督は、その翌年に若い頃からあたためてきた構想を映画にした。それが1973年の映画「カンバセーション…盗聴…」である。コッポラ監督はこの作品が自身の映画で最も好きだと語っている。「ゴッドファーザー」も「地獄の黙示録」も原作があるのだから、芸術家のコッポラ監督にしてみれば、たとえ興行収入が物足りない結果に終わってもじぶんで考えた物語がお気に入りなのだろう。多くの観客にはウケない映画となったものの、1974年のカンヌ国際映画祭でグランプリ、後のパルム・ドールを受賞した作品だ。
この映画は、盗聴のスペシャリストであるハリー・コール(ジーン・ハックマン)が、顧客から依頼されたカップルの会話を盗聴、分析しているうちに強迫観念に取りつかれ、偏執病のようになっていく様を描いたものだ。あのコッポラ監督が、売れない頃から大切にしてきた話がこうしたサイコ系だったということは興味深い。
舞台はサンフランシスコのユニオン・スクエアから始まる。ハリーは重役(the director)と名乗る人物から、ユニオン・スクエアを散歩する1組の男女の会話を盗聴するよう頼まれていた。カトリックとしての信仰も篤いハリーは熱心に仕事をこなし、重役に盗聴の結果を報告しようとするのだが、そのことによってカップルは殺されてしまうのではないかという疑念が頭から離れなくなる。ハリーは以前にニューヨークで盗聴の仕事をしていた際、自らの報告によって関係者に死人が出たことを気に病んでいた。ハリー自身も盗聴を恐れるあまり、恋人とうまくいかず、部下のスタン(ジョン・カザール)にも八つ当たりして辞められてしまうなど、心神がどんどん耗弱していくーー。
この物語は、まずどう見ても、ジーン・ハックマンの快演がなければ成立しないものだった。仕事熱心でありつつ、部屋で孤独にサックスを演奏し、恋人にも深い話はせず、だんだん病んでいくという困難な役を見事にこなしたと思う。ちなみに、ハリーに仕事を依頼する重役はロバート・デュヴァルであり、その秘書の役は若き日のハリソン・フォードが演じている。
カトリック信仰がテーマの一つだ。劇中でハリーが懺悔室で自らの罪悪感を告白するシーンが挿入されていたが、そもそも懺悔という行為こそが昔から信仰の名のもとに行われてきたプライバシーの侵害、あるいは盗聴と言えるからである。ハリーは現代の神父となり、他人の秘密を握り、そのことによって心を病んでいく。カップルの安否が気になるあまり、ホテルの隣室にチェックインし、ユニットバスのカーテンを開けるシーンは「サイコ」(1960年)へのオマージュだ。
そして物語の最後になり、ハリーはじぶんが盗聴されていると重役の秘書から脅されるものの、盗聴器が仕掛けられているかもしれないサックスだけは壊すことなく、むしろそれを吹いているシーンで幕を閉じる。これは faith (信念/信仰)のメタファーだろう。コッポラ監督は人間の心の底に faith を信じているというメッセージだ。本作の数年前に公開されてヒットしたポランスキー監督の映画「ローズマリーの赤ちゃん」では、人間の精神そのものが狂気のように描かれていたので、そのことに対する回答のようにも見える。
この映画が公開される直前、アメリカはウォーターゲート事件で大騒ぎになっていた。盗聴という行為があまりにも一般的だった時代に、コッポラ監督はそれを題材にして、観客の神経をもすり減らすようなサイコ系を撮った。また同時に、カトリック教会によるプライバシーの侵害にも触れている。
しかし、The Conversation を「カンバセーション…盗聴…」と訳した人物のセンスの無さはいったいどうしたのだろう。"盗聴"なんて単語はタイトルのどこにもないのだが、誰か止めなかったのだろうか。「おしゃべり」とか「雑談」のような直訳でいいのだ。
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