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キレの良い変化球 / 「アンナ・カレーニナ」

もっとも映画化されている文学は何だろう、と考えてみたのだが、おそらくレフ・トルストイの「アンナ・カレーニナ」ではないだろうか。グレタ・ガルボやヴィヴィアン・リー、ソフィー・マルソーなど、錚錚たる女優たちがアンナを演じてきた。キリスト教徒たちが大好きな"信仰"の物語である。僕は仏教徒だし不倫なんて別に大したことではないと考えているので、ドストエフスキーの書く物語の方がより真実味があるように感じる。
2012年の映画「アンナ・カレーニナ」は、もう何度目か分からないほどの映画化なのだが、本作は2005年にキーラ・ナイトレイ主演の「プライドと偏見」を撮ったジョー・ライト監督が再びキーラを迎えて発表した意欲作である。相変わらずキーラは柑橘類を齧った直後みたいな笑顔をしているものの、映画そのものを舞台に見立てたような演出や撮影の手法がとても良い。綺麗なドレスなどの衣装も凝っていると思ったら、担当者は本作によってアカデミー賞の衣裳デザイン賞を受賞したそうだ。「アンナ・カレーニナ」のような名作を映像にするということは前例があるだけハードルが高くなるのだが、ジョー・ライト監督はかなり前衛的な表現を取り入れて果敢に挑んでいるし、アレクセイ・カレーニン伯爵を演じたジュード・ローはハゲ過ぎである。
さて、不倫に溺れたアンナが身を持ち崩し、リョーヴィンは農村でキティと幸せな結婚生活を送りました、という結末が美談として成立するのは、1人の男が1人の女と"結婚"することが求められていた世の中だからだ。一夫多妻でもないし、独身貴族は"男やもめ"などと呼ばれ、女たちは結婚することがまるで人生のゴールであるかのように育てられていた。現在こうしたノリは薄れてきたものの、まだ田舎では「もう25歳だから」が合言葉である。キリスト教徒でもない限り、アジア人にとって結婚とは"生活の安定"という意義が強く、宗教に裏打ちされた神聖なものではない。だからアジア人は「アンナかわいそう」と同情する者が欧米の連中に比べて圧倒的に多いはずだ。
それに、そもそもキティはヴロンスキーが好きだったのだ。イケメンのヴロンスキーに相手にされず、粘着質なリョーヴィンで妥協して"幸せ"になったというのなら、めでたしめでたし、である。ちなみに、リョーヴィンという登場人物がトルストイの別人格(alter ego)だと解釈されている。農村で慎ましく信仰に生きるなんてケチくさい話だと僕は思うが、好きな人が多いらしい。なお、文学としてはプロットから設定、登場人物の配置まで、実によく設計されている名作である。
ジョー・ライト監督の"マンネリな撮影はしない"という意欲が伝わってくる映画であり、「アンナ・カレーニナ」という小説を読んだことがない人は本作を観れば良いと思う。キーラの顔よりジュード・ローの頭髪の方が気になる佳作だ。
ちなみに、ジョー・ライト監督は「ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男」(原題は Darkest Hour)を2017年に発表した。

真っ直ぐではなく、変化球を投げてくる監督である。こういう監督も良い。

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