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ランキング首位はあかん / 「市民ケーン」

映画を好きな人なら、誰もがランキングを目にしたことがあると思う。ホラー映画ベスト10や、感動する映画100選のようなリストを眺め、観たことのない作品について調べたことがあるはずだ。こうしたランキングの中でも、特に"名作ランキング"の首位をいつも占めている作品といえば、オーソン・ウェルズが監督と主演を務めた1941年の映画「市民ケーン」(原題は Citizen Kane)だ。
僕はこうしたモノクロの映画をランキングの首位に据えることには反対である。なぜなら、どの映画を観ようかな、とランキングを見る者はだいたい若者であり、今日の若者は幼い頃から"スワイプ"することができ、MARVELなどを通じてCGに慣れている。モノクロの映像というだけで敬遠されてしまう。せっかくこれから映画ファンになるかもしれない若者に"これが名作だ"とモノクロを押し付けるなんて、それこそ老害である。せめてテクニカラーを使用した「風と共に去りぬ」を首位にすべきだ。
それに、映画は100年以上の歴史があるのだから、どの映画が一番名作ですか、なんて答えようがない。芥川龍之介と安部公房ならどちらが良い作家ですかと訊かれているようなものだ。名作30選、のように順位を付けなければいいのに、といつも思う。
さて、「市民ケーン」は確かに画期的な映画である。今日でも流用されているカメラワークや独特の遠近感、そしてオーソン・ウェルズの観客を圧倒するカリスマ。本作は、メディア企業を大成功に導いたウィリアム・ハーストという実在の男の人生を参考に脚本が書かれているのだが、過去から未来へ進む物語ではなく、まず主人公ケーンの死から開始し、その死の謎を解くというミステリーの形式を採用しているので、119分の作品だがあまりその長さを感じることはない。
しかし、「市民ケーン」はもう83年前の作品である。公開された時に劇場で観た人はもうほとんど死んでいる。そんな作品をランキングの首位にするなんて、ベーブ・ルースが偉大だといまだに主張する老人のようなものだ。大谷翔平の方が偉大に決まっているのだから、もう「市民ケーン」だの「駅馬車」だの、ああいった映画は博物館に入れる時だ。ブランドや老舗が大好きな日本人はすぐにこういうモノクロを有り難がる傾向が強いが、「ヒート」や「グッド・ウィル・ハンティング」の方が作品として上質であることは明白だ。表現もまた進歩するのだ。
ケーンの最期の言葉、Rosebud...はアメリカの映画の歴史に残る台詞となった。オーソン・ウェルズはほとんど映画の経験がないまま、本作を25歳で撮った。後生畏るべし、である。若者が力を発揮できない国が不景気なのは当たり前のことだ。

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