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なぜ見慣れぬ者を排除しようとするのか / 「エレファント・マン」

People are frightened by what they don't understand.
(人は分からないことに怯えるものさ)

John Merrick

僕が10代の時に最も影響を受けた小説はメアリー・シェリーの著した「フランケンシュタイン」だ。この作品を映画化したユニバーサル・ピクチャーズのせいで誤解している人がほとんどなので書いておくが、原作で描かれた生物(creature)は身長が8フィート(2.4m)もあり、顔も不細工ではあるものの、奇形だとかネジが頭に刺さっているなんて記述はないし、そもそもフランケンシュタインとは制作した男の名前である。生物の他にも spectre(幽霊)とか wretch(気の毒な人)などと呼ばれ、名前がない。人間の言葉を覚え、豊かな教養を身につけ、伴侶が欲しいとフランケンシュタインに頼んだ生物の悲劇である。
僕がよく"映画は映画だ"と書くのは、上記のように映画は文字ではなく映像だし、文学のように読者の多くがインテリというわけではないので、どうしても映像としての分かりやすさを優先するからだ。
しかし、デヴィッド・リンチ監督は1980年の映画「エレファント・マン」において、誰にでも伝わるように「フランケンシュタイン」という物語の核を撮った。本作は19世紀に実在したジョゼフ・メリックという、全身が奇形のイギリス人の生涯を題材にしたフィクションである。「フランケンシュタイン」では"生物"は創造されたものだったが、ジョゼフ・メリックは人の子だ。
劇中での人物名はジョン・メリックである男(ジョン・ハート)が見世物小屋で囚われていたところ、トリーヴス医師(アンソニー・ホプキンス)が病院へ連れて行き、実は芸術を愛する者であることが判明するも、相変わらずジョンを奇異の目で見る人たちによってメリックの人生は変わってしまうーー。
リンチ監督がこの映画で扱っているものは、人が他人に向ける排除や差別の心だ。その原点にあるものが what they don't understand(分からないこと)だろうという指摘である。普通でないとか奇異であるということは他者を排除する理由にならないのに、ほとんどの人は分からないことを理由にして他人の自由を侵害しようとしているという事実を描いている。劇中でのジョンは、多くの人が理解しがたいことの隠喩である。こうしたことは特に"普通"という言葉が大好きで、"普通じゃない"ことを理由にして他人の権利を奪おうとする日本人に当てはまるものだろう。法律の根拠がまるで無い自粛に従うことが"普通"だからといって、どれだけ他人の自由と権利を侵害しようとしたか。
舞台女優のケンドール夫人がジョンと親しく交流したことは、観客に対して人の心とは何ぞやということを考えさせる。つまり「フランケンシュタイン」における生物であれ「エレファント・マン」におけるジョンであれ、教養が豊かであると描かれていることから分かるように、"普通ではない"ことを根拠にして他者を排除するような知能は"人ではない"ということだ。痛烈な観客への批判である。僕が以前なにかの記事で書いたように、教養とは己の足場を疑い、崩すためのものだ。勝手な自説を補強するために何かを調べるような態度は教養には程遠いものだし、そういう人たちこそが平気で他人の自由を侵害する。
劇中でジョンは詩篇23篇を聖書のなかで好きなところだと暗誦していた。

Yea, though I walk through the valley of the shadow of death, I will fear no evil: for thou art with me; thy rod and thy staff they comfort me.
(たとえ死の影の谷を歩くとしても、私はわざわいを恐れない。あなたが共にいてくれるから、あなたのムチと杖が私を慰めてくれる)

Psalm 23:4

ジョンの周囲にいる人物たち、そしてこの映画の観客である人たちに対して、ジョンの方がよほど立派なクリスチャンであるという示唆だ。
くだらない授業をするくらいなら、日本全国の中学校は本作を上映して生徒に感想を書かせたらいい。昔から日本列島は"余所者"を排除する傾向が強いのだから、こういう作品を観て、豊かな心とは何ぞやということを学ぶべきだ。

余談になるが、メリックに寄り添うケンドール夫人を演じていたのはアン・バンクロフトである。前回の記事「卒業」においてロビンソン夫人を演じていた女優だ。アンの夫はコメディアンのメル・ブルックスであり、リンチ監督の才能に期待して本作の製作を担当している。「エレファント・マン」でビジネスとしても成功したリンチ監督が次作「デューン/砂の惑星」の監督を引き受けてひどい目に遭ったことは以前書いた通りだ。

リンチ監督がビジネス映画ばかりの現状に辟易して引退したように、「エレファント・マン」のような良い映画はどんどん減っている。残念なことだ。

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