いつから僕は、そんな時間を"無駄"と考えるようになったのか
どこからともなく聞こえてくる、元気いっぱいのセミの鳴き声。
もう少し意識を外に向けてみると、聞いたことはあるけど、いまだに何の鳥かがわからない、特徴的な鳥の鳴き声もする。
窓辺でこうした人間以外の生き物の声を聴くたびに「うわ〜めっちゃ夏」なんて思う、今日この頃。
そんな時には大抵、僕の片手にはスマホがあり、何となしにTwitterが開かれている。
フォロワーさんの投稿を一通り楽しんだら、必ず虫眼鏡マークからトレンドを確認して、世の中の興味関心的な事をざっと確認する。
同じ内容なのに、一方の人とは全然違う考え方や受け取り方をしていることももちろんあったりと、何だか考えさせられることが多い。
だが、こうしたTwitter閲覧作業は、気がつくと1時間とか、余裕で時間が立ってしまうこともあり、何だか無駄だと感じることが多い。
毎日のように数時間やるわけではないから、ただボーッと眺めるような、だらだらした時間があっても良いだろうに。ここ最近、無性にもったいなく感じる。
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時間が有限であることに間違いはない。
僕は過去、めちゃくちゃかっこをつけて、ナルシスト風に、こんな名言を心の中で発表した。
「時間に敬意を払わない限り成功はない」
時間を擬人化するような描写?と言ったら良いのだろうか、そう言ったあたりを、僕みたいな超凡人が思いつくと、カッコをつけているようだと感じられる。
だが、最近これはすごく大切なことのように感じる。僕は幸い学生の身分のため、社会人の方に比べれば、仕事における拘束をから見ると、時間がある。これは僕の武器であろう。
いわゆる「金はないけど、時間はある」という状態だろうか。
だが、自分にはやりたいことがたくさんある。
読書が大好きで、本を腐るほど読みたいし、こうしてエッセイ的な物を書くことも好きで、続けていきたいと思っている。これとは別に、ハンドメイドアクセサリーを製作して販売もしている。それに加え、筋トレを習慣化させているし、ボルダリングジムに行く時間も確保しなくてはならない。もちろん、こうしたやりたいこととは別に学校の勉強や、バイトがある。
つまりは、やりたいことにも目を向けると「お金はないけど、時間もない」というわけだ。
これは、なかなかにモテなさそうでもあるし、何だかいけてない奴のような気もする。
お金はない分、時間があることが唯一のメリットでもあったのにもかかわらず、両方ないんじゃお恥ずかしい。
だが事実、お金もなく、時間もない。
やりたいことも、まだしっかりと秀でるようなスキルを身に付けれていないので、余計に焦ってしまうわけだ。
だからこそ、冒頭でお話ししたような、Twitterを眺める時間ですら無駄だと、強く後悔するようになってしまった。
数年前までは、こんなこと全く考えてなかった。けど、やりたいことや将来的にスキルとして身に付けたいことと向き合うようになってから、だらだらする時間を無駄に感じるようになったのだ。
何だか生き急いでいるような感覚なのだろうか?難しい。
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非常に幸せな悩みなのかもしれない。そんな反面、あれだけコタツでボーッとテレビを眺めていたあの頃が、なんだか少し懐かしく感じる気もする。
人生とは、Twitterでいろいろな意見が散見されるように、考え方や見方によって時間の捉え方も変わるのだなと、改めて思った。
人生は短いようだけど、意外にも長いのかもしれない。
いや、もしかしたら超絶短いのかもしれない。それは今の僕にはまだわからないことだ。
だからこそ、早くスキルを身に付けて次のステージに行かなくてはならない。生き急ぐぐらいの時期があっても良いだろう。
なんて、これまたナルシスト感漂う言葉で、今回は締めさせていただきます。