不思議なお盆
気がつけば、今年もお盆の時期がやってきた。
高校卒業したあたりくらいから、時間の流れがだんだん早くなってきていて、なんだか不思議な気持ちでいる。
つい先日まで「さみぃ〜〜〜。早く夏にならね〜かな〜?」なんてみんなで言っていたのに。
こういった時間の流れの早さなんかを、毎年、新年やお盆、クリスマスなど、節目節目や行事の度に不思議に思うわけだが、今年のお盆はまた違った不思議な気持ちが心を充満している。
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今年はコロナの影響で、帰省ができていない。
つまり、お盆に実家にいないのである。これが、”不思議な気持ち”として僕の心の中を、なかなかに渦巻いているのだ。
生まれて20年ちょっと。これまで、お盆に実家から離れることなど、一度たりとも無かった。
地元の友達も帰省で帰ってきていたため、地元で遊ぶことが主だったわけで、特段お盆の時期に実家を離れる理由も無かったわけだが。
そして、別にホームシックになっているから、ということでもない。
だが、やはりお盆に実家を離れていることは、何か心がフワフワしている気がする。
というのも、昔から習慣や伝統的なものを大事にしたい性であったりする。恐らくこのことが大きく関わっているだろう。
別に昔ながらの凝り固まった考え方で、物事を考えているわけではない。
「お前は、ご飯作って家事をしてるだけでいいんだ!俺に口答えなどするな!」みたいな、超古典的な亭主関白思考なんかは、吐き気を催すばかりか、クソダサイと思うたちである。
あくまでも、こういった価値観の次元ではなく、昔から大切にされてきた、ある程度の伝統や習慣というものは大切にしたいと思うのだ。
大切にしないと心に違和感を感じる。これがなんだかいやだな〜と思ったりする。
お墓参りもできないので、今日は大きなお寺に参拝をしてみた。ひいお爺ちゃんやひいお婆ちゃんをはじめ、ご先祖様に直接ご挨拶できない分、せめてもの思いでのお参りだ。
お寺は、都会の中といえどもかなり緑に囲まれていたため、なんだか心を癒された部分もある。もちろん和のテイストが癒しを与えてくれることもあるが、やはり緑は心が和むとも思った。
コロナによる諸々の抑制により、様々なストレスを抱えていることもあるが、それも僕らの命を守るための行動だから仕方ない。だからこそ、こうして緑に触れたり、昔ながらの建物を眼で楽しむのも、非常に趣があり心が躍るものだ。
コロナがなければ今頃、地元の友達と海でバーベキューをしながら、「この前中学の〇〇ちゃんとスーパーで会ったけど、めちゃくちゃきれいになってたわ!」みたいなことも、きっとネタとして上がったはずだ。
そんな、しょーもないことすらも楽しめなくなった”新しい生活”は、いつまで続くのだろうか。
来年こそは、みんなでこんなしょーもない話をしながら、冷えたビールを乾杯して、熱々のお肉を貪りたいな。
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お寺にお参りをした際に、おみくじも引いてみた。
出たのは、大吉。
書いてある内容は、もう、全てを成功させる大スターにでもなるのか?というような内容であった。何から何まで大成功書いてますで、と。ちょっと待ってくださいよと。おみくじってこんなにも大々的な成功を明示してくれたっけか?と。
それは素直に嬉しかったな。
でも、大吉のおみくじを、一人でおみくじ用ロープ的なところに結ぶのは少し寂しかった。。。
そんな、お盆のとある1日でした。