見出し画像

note 読書記録『少女葬』櫛木理宇

彼女が暗がりの部屋で見つめるのは、一枚の凄惨な死体画像だった。
性別も年齢もさだかでない。ぼろきれ同然の少女。

ショッキングな描写のプロローグから始まる物語。
櫛木理宇さんの『少女葬』です。


あらすじ ※ネタバレ注意

主人公は、17歳の家出少女の伊沢綾希(いざわあやき)。
父親の支配下に置かれていた綾希は、お金を貯め続けて両親から逃れると、『グリーンヴィラ』という貧困層が住む集合住宅に逃げ込みます。
プライベートは皆無、名前を書かないと物がなくなるのは当たり前。
1万円前後の家賃、保証人が不要のヴィラに集うのは何らかの事情を持った訳アリの人々です。
身寄りのない少年。身体を売りながら祖国の家族に仕送りを続けるタイ人女性。
次第にヴィラにまん延していく”疑似家族”という名の同調圧力。

綾希はそこで同年代の少女、眞実と出会います。
似た境遇を持つ2人は意気投合しますが、彼女らの運命はたった1つの出会いで分かれることになるのです。
綾希はとあるきっかけで喫茶店の店長の長谷川季枝と出会うと、定期的に喫茶店に足を運び本を貸してもらうようになります。次第に人との繋がりに触れていった綾希はやがて自立への道を進んでいきます。
一方で、眞実はグリーンヴィラのオーナーの知り合いの少女、宇田川海里に出会います。海里が見せてくれる華やかな世界と仲間という甘い言葉に眞実は酔い誘われていきます。
ほんの少しのすれ違いはやがて大きな結末を迎えることになるのです――

印象に残ったセリフ①

作中、とある登場人物からこんな言葉が発せられます。

『人生ってのは運に左右されるところが大きいよ。人生の岐路に立たされたとき、正しい道を選べるかどうか、だけじゃない。その選択肢を得られたこと自体が、すでに幸運なんだ。』(p.305)

この文章については大矢博子さんの解説でも触れられています。
結論から言ってしまえば、綾希と眞実、2人の立場は逆転してもおかしくなかった。
さらに言えば、読者の私たちさえも彼女らの立場になり得る存在であると述べます。
読者である私たちが『そんな場所や生活から早く抜け出してしまえばいいのに』ということは簡単ですが、それではこの本が小説である意味がなくなってしまうと私は思いました。

大矢博子さんはこの本を想像力の物語と形容しています。
小説は文章のみから成り立つコンテンツです。
作中の風景や人物は読者である私たちが想像するしかありません。
自分の視点を限りなく小説の中に没入させることで、この物語の力強さは増すと思います。
解説では、僕よりもう少し上手に言語化してくれているのでぜひそちらを読んでいただきたいです。

印象に残ったセリフ②

上記の通り、主人公の綾希と眞実は似た境遇の少女として語られますが、実際のところはかなり違うことが読み進めていくとわかります。
物語の中盤以降、眞実の視点から物語が語られることがあります。
そこで二人の世界の見え方があまりにも違うこと。そして訪れるであろう結末に思い当たった時に感じる絶望感には胸をえぐられます。
それに対して綾希は作中でこんなことを思います。

『お金がなくても、飢えても、なにかひとつ支えになるものがあれば人は生きていける。綾希にとっていま、それは本だった』(p.182)

読書家であろうと予測される皆さんに共感させるにはこの一言だけで十分かもしれません。

綾希と眞実の視点がここまでに違うのは元々なのか、それとも他者との出会いが両者を分かつことになったのか。
話は前後しますが、その後に出てくる『人生は運』という言葉が重くのしかかります。

総評

私はジャンルで作品を選ぶことはしないのですが、面白い作品を形容するのに”暴力的”という表現を使うことがよくあります。
先ほど述べた絶望感であったり、展開が読めていても、なお衝撃を受ける。そんな鈍器で殴られて自分が変形していくような作品が面白いと思います。
それで言えば、この『少女葬』は間違いなく2024年で最も面白い本でした。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?