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down the river 第三章  第二部〜飛翔⑦〜

「百合子、あなたにはキチンと返事をしないとね。」

「返事?」

「とぼけないでほしいな。友達だからちゃんと話をしたいの。」

夕日の中、百合子と真理が向かい合って話を始めた。
決戦の舞台は早朝にユウと真理がこの先も一緒にいようと誓い合った建屋の外を通る渡り廊下だ。
放課後とはいえ人通りが無い訳ではない。
周囲を気にしながら真理が口火を切った。

「百合子、あれから何日も経ったし、少し冷静になったと思うの。だからさ、冷静になった今、改めて百合子の気持ちを聞きたい。」

真理の目は本気だった。
そして祈る様な目でもあった。
どうか、どうか「冷静じゃなかった。私が間違っていた」という言葉を発してほしい、そう祈り、叫んでいる様な目だった。

「冗談なのよね?百合子。わかるわ?私も。あの…なんて言うか…霧がかかった深い森の中にいる様な…綺麗で…暗くて…黒い、そんな曲を大音量で聴いた挙げ句、新田さんのあんな話を耳に入れられたら…そんな気持ちになってしまうのは本当にわかるわ?」

「真理、勝手に知った気にならないで。」

百合子は氷点下まで冷たくなった声を真理にぶつけた。
その衝撃で真理は軽くのけ反り、そして今度はその目に恐怖を携えた。
友人とはいえその力関係は百合子へ傾いている事は過去のやり取りからも明らかである。
この力関係が構築された2人の過去に何があったかまでは察することは出来ないし、ユウも知らされていないが、真理が百合子の一喝で恐怖を覚える程の明確な力関係がある事は事実だ。

「し、し、しし、…知った気?ああああら?勘違いなンぅの?じ、じゃあおし、教えてよ!!百合子!」

真理は恐怖を振り払う様に身体を大きく動かし、動かない口を懸命に動かしながら声を発した。

「教えるも何もないわよ。前に言った通り。あなたが好き。」

百合子の淡々とした口調に真理はブルッと身震いをすると、百合子から距離を取った。

「じ、じゃあ、私もキチンとへん…へん…返事をし、しないとね。」

真理は唾をゴクリと飲み込むと、百合子から取った距離をつめ直した。

「わた、わた…わたた…私は、百合子と…ゆりゅこ…ゆら…百合子とはともら…友達でいたい…。友達とひて、と、して…。恋人にはなれない。」

「そう…とても残念ね…。ところで聞きたい事があるの。」

「…?」

「恐怖と怒り…どちらが上かしら?」

真理は百合子を鋭く睨むと、怒りに震えているのか恐怖に震えているのかわからないが、その震えを抑え込む様に小声で百合子に詰め寄った。

「その…返事は…しゅたはずだけど??」

歯を強く噛み締めて話しているので真理の口は上手く回らない様子だ。

「私をこうやって目の前にして改めてどう感じる?」

百合子の表情は今日顔を合わせてからまるで変化が無い。

「前にも聞いたけど百合子がそれを知ってどうにかなるわけ?なんか意味があるの?」

「そのまま返すわ?真里。その意味を真理が知ってどうにかなるわけ?理解できるというか、真理自身理解しようとするの?」

「う、…そ、それは…」

「同性愛という若干イビツかもしれないけど愛の一つの形すら理解しようともしない真理が私の気持ちを理解しようと考える事ができるの?」

「あ…う…」

「私が真理を好きという感情を最初から信じていないくせに、ただ新田くんに影響されたと思い込んでいるくせに。私の質問に意味があるか無いかなんて真理が決めなくていいのよ?」

「うぅ…」

真理は涙を必死に堪えていた。
怒りをぶつけて心が動く相手ではない事は理解はしていたがこれほどまでに、ぶつかっていこうとする力をマタドールの様に避けられてしまうと怒りは相手ではなく真理自身へと向かってしまう。
自分への怒り、苛立ちで真理の心は完全に沸点に達している。

「真理、あなたは本当にかわいい。」

「うぅ…ウッ…」

「そんなかわいい真理が新田くんに盗られてしまって本当に悔しい。真理…震えてるのね?怖いの?悔しいの?それとも両方?」

「ど、どっちでも…いいでしょ…うぅ…う…」

真理は遂に涙を溢れさせてしまった。
全部見透かされている、その事実があまりに大きな痛みを真理に与えてしまったのだ。

「真理、私と恋人になりなさい。絶対に後悔させないわ?」

「む、無理だよぉ…百合子は友達だもん…それに私には新田さんがいる…ねぇ…お願いだから許して…百合子とはずっと友達でいたい!…え?」

泣きじゃくりながら真理は百合子へ懇願していた。
しかし真理はブルっと身震いを一つすると突如赤くなった目をカッと見開き、狂った様に慌て始めた。
そして慌てふためきながらも、奇妙な笑い方を披露したのだ。

「アハ!アハハハ!え!?ヒヒ!」

「ま、真理?どうしたの?」

さすがに百合子も表情を変えた。

「ヒィ!アーアーアー!どうしよどうしよ!アッハッハッ!助けて!助けて新田さん!私!私!また汚れちゃった!!」

「真理!!!」

百合子は透き通る声で狂った真理を一喝し、
一瞬怯んだ真理の両肩に手を乗せて動きを制した。
そして百合子はゆっくりと真理の頭上に右手の平を上げた。
その手を見た真理はビクッと反応する。
百合子は構わずにそのまま手の平を真理の頭に下ろし、真理の頭を数回撫でた。

「どうしたの?真理。」

「百合子ぉ…百合子のせいよ…」

真理の涙は止まらない。

「真理、話して。どうしたの?」

「濡れてるの…百合子と話していただけなのに…濡れてるの!フフフ…ダメね…私…もう私、ダメね…新田さん…ごめん…。」

真理は百合子の正面で今朝ユウにした様にガックリと両膝を着いた。

「ぬ、濡れてる?私と話しただけで?」

「うん…もう私は百合子のものみたい…。私の身体は百合子の事大好きみたいね…。あぁ…新田さん…一緒に居たかったな…。」

真理の表情に諦めの色が見え始めた。
それと同時に百合子は歪んだ笑みを浮かべた。
勝利を確信した目つきだ。
その目を見た真理は奴隷の契約を交わすかの様にゆっくりと頭を垂れた。

「百合子…これから私をかわいがってくだ…」

「天澤百合子。」

真理の語尾に合わせたかの様に百合子と真理の狭い隙間に、ユウの身体と低い声が割って入った。
百合子の眼前にユウの鋭い目が突如として現れたのだ。
しかし、真理の涙は依然として止まらない。

「新田さん…ごめんなさい…私の身体は何回も何回も新田さんを裏切りました…。」

ユウは真理の言葉には反応せずに、百合子に顔を近付けた。

「真理を許してやってくれねぇかな。…許すっていうかもう諦めろよ。あんたが真理の友人だからって事と、真理が自分で話をつけたいからって事だから外で待ってたんだけど、なぁんか嫌な予感がしてね。来てみて正解だよ。」

「新田くん、勘違いしないでよ。話し合ったのよ?私達。真理はその話し合いの最中に泣き出してしまった。そういう事よ?」

「俺から言わせりゃ話し合いなんかどうでもいい。あんたが真理に謝る、そして恋愛関係になれないんだから諦める、友達戻る、もしくは友達としても諦める、あんたがする事はそれだけだよ。どちらが悪かなんてあんたくらい頭の良い人ならわかるだろ?俺みたいなバカじゃないんだ。そうだろ?」

「…。」

百合子は黙って聞いている。
目は地面の1点を見つめピクリとも動かない。
しかしその表情からとてつもないスピードで脳が動き回っているのが伺える。
そしてその百合子の様子を立て膝をついたままの真理が怯えた表情で見つめている。

「新田くん、あなたの身の上話、凄く勉強になったわ?と、同時に…」

百合子は喋りながら自分に詰め寄ってきたユウの身体を優しく押し返した。
百合子から放たれた制汗剤らしき香りがユウの鼻孔をくすぐる。
百合子に押し返されたユウは微妙にバランスを崩しながら後ずさりをした。

「自分の未熟さに腹が立ったの。」

「ハッ、あんたが未熟?そりゃおかしいな。真里から聞いているあんたはそれはそれは優秀な人間とのことだけど?」

「新田くんに見えている景色は、新田くんが言うところの優秀な私には見えない景色。…あなたは…何もかも受け入れて苦しんだ代わりに色んな景色を見てきた!私の見たい景色は優秀だのなんだの言われているこの場所からじゃ見えないのよ!私だって!私だって苦しみを受け入れてきたのに!何の為に苦しんできたのよ!私は!」

「い、い、言い訳に、しか…き、聞こえねぇな…」

ユウは百合子の迫力に圧倒され、小声になってしまった。
くだらない嫉妬と言いがかり、そして幼稚な言い訳と頭で理解していながらもその迫力にユウは身も心もたじろいでしまった。

「だから私も解放したの。自分の心を解放したの。我慢して包み隠して手に入れた景色なんか全然綺麗じゃない!!偽物よ!だからずっとずぅっと隠してきたレズビアンの私を解放した!」

「お、俺が見てきたものは綺麗なものばかりじゃない!ふざ!…ふざけんな!」

ユウは精一杯の大声を張り上げた。
ユウは確かに綺麗なものばかり見てきたわけではない。
むしろ汚れきった欲望に包まれてきたのだ。
体液と尿と罵声を浴び、性器に囲まれながら多感な時期を過ごしてきたのだ。

「いいか、天澤百合子。よく聞け!俺が汚れた人間だってのはライブで話した通りだよ!俺の体内には何人もの汚物が流れてんだ!!お前がどれほど苦しんでいたかはわからな…」

「新田さん!」

真里は体勢を変えずに声を上げた。

「…。」

『こんな時にでもこいつは口を挟んできやがるのか…』

ユウは真里の癖に軽く苛立ち、大きく息を吸い込み叱ろうと口を開いた。
そしてユウの息と共に声が喉を通ろうかというその瞬間に、また真里が口を挟んできた。

「百合子…私はイヤ…百合子とは友達でいたい…。」

「…。」

百合子は険しい表情で真里を見ている。

「どうすれば、どうすれば百合子は納得してくれるの?あなたと恋人関係にはなれない、この事は覆らない。だけど…私にできる事は何?あなたが納得する為に私ができる事は何?教えて。」

いつの間にか真里の涙は止まっていた。
奴隷の様な虚ろな目ではなく、いつもの目だ。
それに気付いた百合子はフッと力無く笑い飛ばした。

「真里、あなたには何も無いわ。そしてもういいわ?あなたさえ良ければ友達に戻りましょ?」

「すぐには元に戻れないよ?それでも待っててくれるの?」

「えぇ…。」

「ゆ、百合子ぉ…!ありがとう!ありがとう!うあああ!ありがとう!ああ…」

真理は再び泣き出してしまった。
百合子は真里の頭にポンと左手を置き、撫で始めた。
そして撫でながら百合子はユウの方を向いた。
例えようもない険しい表情だ。

「新田くん、私はあなたに責任があるとは言わないけど…今後、気を付けた方がいいわね。いつ責任を押し付けられるかわからないよ?」

「気を付けるよ。おんなじ事、メンバーに言われたばかりだ。あんたも勝手に暴走すんじゃねぇ。」

ユウの厳しい口調に百合子は微笑みで返した。
そして真理を撫でるのを止めるとユウの方へ歩き始めた。
そしてユウの横を通り過ぎる時、百合子は歩くスピードを緩めて、ユウの耳元で囁いた。

「負けないよ?新田くん。」

百合子はそのまま歩き去った。
ユウは背筋と心に嫌な寒気を覚えると、何故かこのタイミングで頭の中で鳴り響くすりこ木を擦る音に耐えながら真里の手を取った。


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