down the river 第三章 第二部〜飛翔⑤〜
真理が百合子からの電話を受けたその時、ユウはBlue bowのスタジオ練習を終えて元田と駅前のファストフード店にいた。
「何?俺とだけ話がしたいって。何か嫌な予感しかしないんだけど。」
元田はムシャムシャと音を立てて、ポテトを食べながらユウの顔を見た。
元田は何か探る様な目つきでユウの顔をひとしきり見終えると今度はコーラをストローでズゾゾとやはり音を立てて飲み干した。
そして横を向いて豪快なゲップを放つ。
元田の格好はいつも同じだ。
洗濯の繰り返しでくたびれた洋物バンドのTシャツと濃色のGパンという格好以外ユウは見た事がない。
仕草、行動共に品が無く、はっきり言って清潔感も皆無だ。
ギターの腕と穏やかさを取ったら異性を惹き付ける要素は何一つ無い。
「モッさんにだけ聞いてほしくて…。モッさんは頭も良いし口も堅いし。」
「ふうん…ユウより少しだけ早く生まれただけの俺に聞いてほしい?うぅん…何のアドバイスも出来ないと思うよ?何を勘違いしてんのか知らないけど俺は頭が良いわけじゃないし瀧本みたいに頭が切れるわけでもお口が達者なわけでもない。まぁ話して楽になるなら話してよ。聞くことくらい人並みにできるからさ。」
元田の話を最後まで聞いた後、ユウは冷たいコーヒーを一口飲んだ。
そしてユウはコーヒーを飲み込んだ後に、視線をコーヒーから元田の顔にへ移すと力無く話し始めた。
「モッさん、なんで俺の周りにはいつもいつも同性愛の問題がついて回るんだろう…。俺はもう同性愛者でも両性愛者でもない。付き合っていた彼氏と別れて、犬塚真理っていう彼女がいて、心から愛しているんだ。俺は普通になったはずなのにさ…なんで普通じゃない問題がついてまわるんだろう…。」
「ほぉん…さり気なく惚気けてくるね。まぁいいや。真理ちゃんになんかあったの?」
「実は真理の同級生に天澤さんて子がいて…」
「あぁ、天澤百合子ちゃん?うんうん、瀧本のファンだよね、確か。珍しい名字だし美人さんだから俺も覚えてる。でも悔しい事に瀧本にべったりだったんだよね。毎回かってくらいBlue bowのライブに来てくれてたなぁ。真理ちゃんと仲良しなんだよな。で?その子がどうしたの?」
元田は軽く興奮したのか、再びポテトに手を伸ばし口に運ぶと、今度はくちゃくちゃと更に下品な音を立てて食べ始めた。
「襲われたんだ…真理が…」
「は?」
元田の口の動きが止まった。
「天澤百合子に真理が襲われたんだ。マジだ。」
「ごめん、頭が追いつかねぇんだけど…なんだ?襲われたってのは。」
ユウは事細かに元田に説明をした。
事が起きた後、真理がユウに抱いた思い等も包み隠さずに元田に説明をした。
「ユウ、真理ちゃんはそれでその…今は何ともないの?」
元田はポテトの最後の一片を口に入れた。
「今のところ何ともないみたい。なぁモッさん…何でこうやってこういう問題がついてまわるんだろうね…。ただ、ただ俺は普通にしていたいだけなのに…。普通がほしいだけなんだけど…。」
「いや、やばい話を聞いちまったな…真理ちゃんがそんな目にあってたとはね…。」
「真理はあんな奴だから明るく振る舞ってる部分もあるんだろうけど…。で、モッさん、何で俺はこうなんだ?何でこういう事に巻き込まれるんだ?分かるなら教えてほしい…。」
「あぁその質問の答えなんだが…それを言う前に一言言わせてもらうと、その、ユウ、お前はアホなのか?」
「え?」
元田の呆れた顔を見たユウは口をポカンと開いた。
そしてそのユウの顔を見た元田は、はぁっとため息をつくと説明を始めた。
「あんまり賢い奴じゃないとは思ってたんだが…これほどまでにアホだとは…うん、まぁ俗に言う天才って奴の素性はこんなもんか…。はぁ…おい、ユウ、お前はライブのMCで何を話しているんだ?何について話をしているんだ?同性愛、両性愛について話をしてるんだろ?視野を広く持てと、新田優という穢れた両性愛者がここにいるから穢れのない皆は自信を持って自分の好きな人をきちんと好きになれと、そう言ってるんじゃないのか?」
「う、うん、まぁそう…です…ハイ…。」
ユウはそう言うと再び口をポカンと開いた。
「ここまで言ってわかんねぇか?はぁ…本当にアホだ…飲み物買ってくる。」
そう言うと、元田は飲み物を買いに席を立ってレジへと行ってしまった。
「そんなアホアホ言わなくてもいいじゃんかよ…。ひでえなぁ。だってわかんねぇもんは仕方がないだろうよ…。」
ユウは膨れっ面で元田を目で追った。
元田の寝癖がついた後頭部を見てユウはプッと吹き出した。
身嗜みという事すらろくにしない元田にアホ扱いされたユウは少し腑に落ちない様子だ。
レジで飲み物を受け取った元田が片手をポケットに突っ込み、飲み物を飲みながら戻って来た。
元田の動作一つ一つ、どれも本当に品が無い。
「わかんねぇの?ユウ。ん?」
元田は椅子に座りつつユウの顔を覗き込んだ。
「わ、わかんないよ…どういう事かわかんない…。」
「天澤百合子ちゃんはライブに来てたんだろ?」
「う、うん。」
「お前のあのありがたい説法を聞いていたんだろ?」
「あ…。」
ユウは目を見開いてパチパチと大きく瞬きをした。
「わかった?」
「あ…うん…。」
「ある程度わかったなら教えてやるよ。天澤百合子ちゃんのその素質を引き出したのはお前だよ、ユウ。どういう背景があるのか知らんが元々あった同性愛の素質を引き出したのはお前だ。いいか?ユウ。お前はもうただの変態じゃないんだよ。ん…まぁ変態って…その…言い過ぎだけど…でもな、お前の言葉に感動して考えて行動する奴らがいるんだ。天澤百合子ちゃんはその一人だったって事だよ。」
「俺が天澤さんを動かした…」
「そう。正直言うとそろそろユウには言うべきかと思ってたんだよ。だが天澤百合子ちゃんが全て教えてくれたみたいだな。」
「じゃあ間接的に真理を傷付けたのは…お、俺って事か…」
「それはたまたまだって。結果そうかもしれないけど。」
元田はユウをなだめると飲み物をあっという間に飲み干した。
そして豪快にゲップをすると珍しくきりっとした顔に変わり話し始めた。
「ユウ、瀧本から聞いたけどお前は自身の経験を伝えて、それで誰かを勇気づけて、誰かを救おうと考えたんだろ?瀧本からそう助言されたんだろ?」
「う、うん…。」
「それ自体は凄い思いつきだ。誰かの経験が誰かの道しるべになるという発想は素晴らしい。だけどさ、お前や瀧本くらい影響力を持ち始めると今度は責任ってヤツがついて回る。」
「せ、責任…」
ユウは説明を理解した様子で首を小刻みに縦に振った。
「さっき言ったろ?お前の言葉で動き始める連中が出てくるんだよ。それが今回天澤百合子ちゃんだった、その被害者が真理ちゃんだった。それは本当にたまたまだけどな。ユウ、真理ちゃんが今回そういう目にあっちまった。だけどこれからお前の言葉で天澤百合子ちゃんみたいな凶行に走るお前の知らない人間が出てくるかもしれないんだ。その責任はお前が知らなくても、勝手にその肩にのしかかる。そう、勝手にな。それでもお前は穢れて汚れたカリスマとして活動するのか?それともただ音楽っつう芸術を皆に届けるだけにするのか?それを選ぶのはお前だよ。」
「モッさん、俺はどうすればいいか分からないよ…。」
ユウは下を向き、後頭部を掻いた。
間接的に真理を傷付けてしまったという事実が否応なしにユウの思考を黒く染めていく。
やっと掴んだ普通と、その経験と気持ちを観客に伝える事で得られるカリスマ性とをいくら精密な天秤にかけたところでどちらへも、僅かにも傾こうとしない。
「ユウ、俺にも分からんよ。俺に分かるわけがない。ただ…」
「た、ただ…?」
ユウはテーブルに手をつき、身を乗り出した。
「俺は音楽が好きだ。」
「…?」
「俺はお前の言う同性愛だの普通だのはどうでもいいんだよ。俺はギターを弾く事が好きだ。誰かが聴いてようが聴いていまいが関係ない。知るかそんなもん。そしてカリスマ性なんてのもどうでもいいんだよ。お前はどうだ?バンドというもの、音楽というもの、ソングライターとして、ベーシストとして、ボーカリストとしてどういうスタンスでいるのが心地良いんだ?そして真理ちゃんはお前にどうあってほしいんだろね?」
「どうあるべきか…じゃなくて俺自身がどうしたいか…。」
ユウは何かが理解できる寸前まで来ている。
だがその最後の簡単な問題が解けないといった様子だ。
「そうだよ、ユウ。いいか?俺達はプロじゃねえんだ。お前は高校生、俺は大学生。音楽に対してどうあるべきかなんて考える必要なんかない。俺達がやってる事なんかただのオ✕ニーと変わらん。お前が気持ち良くなれりゃいい。無い頭で小難しく考えるのはよせ。はぁ…喋り過ぎた…腹もパンパンだ。ユウ、俺は帰るぜ。」
元田はひとしきり喋り終えるとため息を付き食品トレーを片手に立ち上がった。
何故か後ろ姿から見えた元田の頬が赤い。
そしてその瞬間ユウは理解した。
『誰かの為じゃなくまず自分…て、事か?自分が気持ち良い事…真理との時間?音楽やってる時?全パートがシンクロした時?皆に俺の思いや経験を知ってもらって皆が理解して皆が俺のおかげで前に進めた時?どれだ?俺が一番欲しいもの…それが今の答え…』
「モ、モッさん!」
ユウはガタッと大きく音を出して椅子から立ち上がり、背中を見せて食品トレーからゴミをつまみ、捨てている元田を大きな声で呼んだ。
元田は返事をせずに食品トレーのゴミを全て捨て終わり、食品トレーを片付けると、疲れた顔で振り返った。
「モッさん、ありがとう。やっぱモッさんに話して良かったよ。」
ユウは言い終えると頭を深々と下げた。
それを見た元田はニヤリと笑うと少し大きめの声でユウに檄を飛ばし、その場から歩き去った。
「少しは自分で考えろバーカ。頼むぞリーダー。」
ユウは遅い気付きであったが、自分の考えを押し通すには覚悟と犠牲を持たなければならないとこの時初めて理解した。
豪華絢爛な装飾が施され、水平を保ち、ピクリとも傾かなかった精密な天秤がユウの心の中で、手入れもされておらずガタガタの粗悪品へと変化すると、装飾品が大きな音を立てて剥がれ落ちていく。
そしてその天秤はバウンドしながら勢いよく傾いていったのだ。
『生きていく上で精密な天秤は必要無い。ボロボロの汚い天秤で十分だ。分銅だって同じだ。手垢で汚れてサビサビの分銅で十分だ。忘れてたよ。俺自身既に汚れきってる事をな。』
ユウはファストフード店から出ると、フッと小さく笑い、沈む寸前の夕日に向かい歩き始めた。
「へっ…モッさん…車に俺のベースと機材入れっぱなしだっつうの。フフフ…」
ユウはいつもより身の軽いスタジオ練習の帰り道に少し違和感を覚えた。
しかしその心も軽く、自然と笑いが溢れてくる。
「アハハハ!モッさん照れなくていいのによ!慌てて帰ってやんの!アハハハ!嫌がらせの電話してやろっと!アッハッハッ!」
ユウは目を擦りながら駐輪場へ向かう足を速めた。
※いつもご覧いただきありがとうございます。down the river 第三章 第二部〜飛翔⑥〜は本日から4日以内に更新予定です。
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