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すみこさんとの対話。孤独なリーダーこそ、「影」で変われるっていう話。

・自分だけ限界まで頑張っている気がする。
・主体的に動いてくれる部下が育たない。
・何度言っても相手に伝わっていない。変わってくれない……

そんなフラストレーションを抱えながら、「理由のない孤独感と、いら立ち」に苛まれている有能なリーダーの皆さんへ。

ーそんな書き出しでスタートした、木村すみこさんのコラム「光と影」。6月の連載開始から隔週での更新を続け、先日、最終回を迎えた。

すみこさんにインタビューをし、記事にまとめるのが僕の役割だった。毎回、すみこさんの言葉から多くのことに気付かされ、学ばせていただいた。

連載を前提にしたインタビューが始まったのは、昨年の9月。そこから何度、オンラインで話をお聴きしただろうか。「人間理解」や、「器の広げ方」といった抽象度の高い内容を、僕にも分かるように具体的な事例を踏まえながら辛抱強く説いていただいた。

といっても、すみこさんは決して大上段に構えて「教え諭す」という姿勢を見せなかった。日ごろ、大手企業の幹部などへのセッションや研修を重ねているマスターコーチにも関わらず、いわゆる「トップコーチ然」とした空気感は微塵も感じさせない。常にフラットなすみこさんのおかげで、こちらも気負いなくインタビューすることができた。

むしろ、トップコーチだからこそコーチ然としていないのだろう。ときには赤裸々に、自らの失敗談を語ってくれることさえあった。

すみこさんの「在り方」から受けた恩恵

インタビューをもとに執筆した原稿については、すみこさんが加筆することはあっても、流れや構成はほぼそのまま採用いただいた。これには本当に感謝している。そのおかげで、僕は自分の能力を抑制することなく執筆を続けることができた。

考えてみれば、すみこさんと接するうちに僕はいつの間にか「書く」という仕事に少しばかりの自信を持てるようになった。すみこさん自身がそういう意図を持って僕に接していたのかどうかは分からないけど、結果として、自然とそういう恩恵を受けていたのは確かだ。

これはまさに、すみこさんの「在り方」によるものだと改めて思う。自らの「光と影」を見つめつつ、人間理解を深め続けてきた人だからこその影響力なのだろう。

原稿のやりとりから感じる「器」

もう少し、「書く」ということに基づいてすみこさんの在り方を説明するなら、こういうことだ。

僕がインタビュー、または企業やお店などに出向いて取材した場合。その原稿は基本的に「読者目線」で仕上げていく。

・読者なら何に興味を持つのか?
・何を知りたいのか?

そして、
・どういう意識の流れで読み進んでいくのか?

それらを基盤に、一文字、一文字を連ねていく。

これは文章を書く人間にとってはあまりにも基本的な事柄。だけど、最近の「自称webライター」さんの記事には、こうした基本が感じられないものがとても多い。ただ見たまま、感じたままを、書きたいように(自分が書きやすいように)書いている。終始、自己目線。ブログの延長のような記事ばかり。しかも、そういう記事が主流になりつつある。

そうした風潮も関係しているのかもしれないが、まれに取材対象者から原稿に対して根本的な変更を求められることがある。こちらのミスによる不備ならもちろん弁明の余地はない。だけど、そうではないのだ。

ただ「自分の言いたいことが書いていない」「自分がイメージしていたことと違っている」という理由なのだ。そこに読者目線はない。「それじゃなにも伝わらない」と感じることでも、お構いなし。読者よりも、自分の満足が大事なのだ。

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一方、すみこさんとの長いやりとりのなかで、そういうことは一度も感じなかった。おそらく、原稿を確認されるたびに様々な葛藤を感じられたのではないかと思う。「この話はあまり触れてほしくない」とか「この表現はキツイ」とか。でも、そうした自身の感情反応に振り回されることなく、常に「読み手」に伝えるメッセージを最優先に原稿を見ていただいた。その一貫した姿勢に、僕は何度も感銘を覚えた。

それができるのは、やはりすみこさんが自身の「影」の部分と向き合ってきたからだと感じる。自分がやっちゃったこと、言っちゃったこと、またはできたかもしれないのにやらなかったことなどを見つめ、内省を深める道を歩み続けているからだ。もしそうでなければ、読者へのメッセージよりも、自分の感情を守ることを優先しまうだろうから。

身近な「あの人」に向けて

この連載は、孤独に悩むリーダーにこそ読んでもらいたいと願いながら書き続けた。なぜなら、そうしたリーダーが僕の周囲にも少なからずいるからだ。

彼らは地方の若手起業家として注目を浴び、地元のテレビや新聞に取り上げられることも少なくない(単にほかにネタがないときに、取り上げやすいというだけなのだが)。だから、対外的なイメージは非常に良かったりする。

だけど、会社の内部は決して明るいものではない。
・部下に意見を求めつつ、聞く耳をもたない。
・自分の言ったことだけを黙々とやらせる。
・社員を駒として扱い、コミュニケーションは無駄と考えている。

こうした組織が発展する可能性はまずない。硬直化し、先細りしていくのは自明の理だ。そして、この状況下で最も孤独を感じているのは、そうした環境を創っているリーダー自身なのだ。

しかし、本人は自分に非があるとは考えていない。「部下が、または社員が無能だから」と思い込んでいる。そしてどんどんトップダウンの専制政治を強め、傲慢になっていく。「有能な経営者」「地方のカリスマ企業」という光を強く求めることで、自ら「影」を深めているのだ。そして、その濃い「影」が、そのまま会社の経営に影を落としていることに気付いていない。というより、気付けないのだ。光だけを求める傲慢な人間が、自らの影を振り返ることは極めて難しい。

だからこそ、読んでもらいたい。そして、ほんの一瞬でも立ち止まって、省みてほしいのだ。

あなたが気づきを深めるだけで、本当に会社は変わるのだから。

……ということを言ったところで「お前になにが分かる」と一笑に付されるだけだろうけど。。。

自分の影を周囲に押しつけていた……

そもそも、自分自身もそういう立場になれば、きっとまた傲慢になってしまうだろうと思う。

すみこさんへのインタビューを始める1年ほど前のことだ。僕はあるイベントを主催するグループのチームリーダーを任されていた。企画、会場設定、参加者募集、入金管理、当日のスケジュール……などを、チームをまとめながら進めていく……はずだった。なのに、いつの間にか僕一人がイライラして、不機嫌をまき散らし、「なんでもっと自分で考えて、積極的に動いてくれないんだ」と怒り……。

ほかのメンバーを動けなくしていたのは、自分だった。あんな態度で接してこられたら、そりゃ誰だって気を遣って、「きみの言う通りにするよ」ってなるだろう。ぶつかり合ってケンカになるくらいなら「指示待ち」に徹しようってなるだろう。。。

つまり、僕の自作自演だったのだ。自分の小さな器では扱いきれなくなった物事を、周りのせいにしていただけ。自分の影をほかのメンバーに押しつけていただけだったのだ。

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でも、もちろんそのときにはまったく気付いていなかった。イベントが終わり、役から解放されてしばらく経ってやっと、自分の愚かさが見えてきたのだった。

そう考えると、ずっとその立場から逃れられず、しかも自分だけでなく社員の生活まで背負っている企業のトップが、「自らの影に気付く」ことがいかに困難か、理解出来るようにも思う。

しかし、だからこそ届けたかったのだ。
より影響力の強い立場の人ほど、自らの影に気付くことでより多くの人に光を与えられるのだから。

そうした影響力は、ウイルスの感染に例えると分かりやすいかも知れない。常に自分が周囲に感染させているのだ。同じ感染なら、不機嫌や威圧感といった病原体より、可能性や信頼、喜びを感染させるほうがいい。

「この道」を歩む全ての人へ

ここまで読まれてきてお気づきかもしれないが、すみこさんのメッセージは組織リーダーだけに向けられているわけではないのだ。

私自身、自分の光と影の統合を目指して歩みつつ、この道には終わりがないのだとわかってきました。気付かないうちに傲慢になったり、自分の正しさにこだわったりして横道にそれてしまいがちな自分がいることも認識しています。共感して下さる読者の皆さんと、励まし、刺激し合いながら、これからも一緒に歩いていけることを願っています。

「光と影」の連載を、すみこさんはこう締めくくった。

僕自身、これからも生きていくなかで「理由のない孤独感と、いら立ち」に苛まれることがあるだろう。おそらくそうした苦しみに繰り返し襲われることだろう。でも、その度にまたここに戻ってこようと思う。ここには、一緒に歩いていける仲間がいるのだから。

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