見守っているから乗り越えなさい┊︎小学校の先生の教え
小学生の時のはなし。
算数が苦手なわたしは、友達に教えてもらいながらプリントに取り組んでいた。
わたしの前の席の男の子が席を空けていたから、友達は男の子の椅子を借りていた。
自分の席を勝手に使われたことにイラッと感じたのか、男の子は友達めがけてシャーペン投げた。
そのシャーペンは友達の顔に当たった。
下まぶたにシャーペンの芯が刺さっている。
目の前で置きた出来事に声が出ず、わたしは友達の下まぶたに刺さったシャーペンの芯を見つめた。
なにが起こったのか飲み込めていなかった友達も、わたしの驚愕の表情を見て恐怖心が襲ってきたようだった。
じわじわと瞳に涙が溜まっていく。
友達は保健室に連れていかれ、男の子は先生にしょっぴかれていった。
わたしのせいで、わたしが算数を教えてもらったせいで、友達が目を失うところだった。
自責にかられて涙が止まらなかった。
周りの子たちは「なんですももちゃんが泣いてるの?」と不思議がっていた。
他人からしたら意味が分からないだろうけど、わたしのせいで誰かが酷い目にあうというのが、虐待やトラウマの再現だったから、とんでもないことが学校で起きてしまったわけだ。
わたしが泣き続けるまま、給食の時間に突入した。
いいかげん泣き止んで給食を食べなければならない。
なんとか食事を口にしたとき、担任の先生が「よくがんばった」と遠くから言った。
この話を久々に思い出して、なんか泣けてくる。
先生はわたしになにも声をかけず、ただ遠くからじっと見守っていた。
その後も、なにも言わなかった。
それを「見守っているから、自分で乗り越えなさい」というメッセージとして受け取った。
そしてその頑張りをきちんと評価してくれることへの信頼も感じる。
思慮深い先生だったから、もしかしたらわたしの家庭事情に勘づいていたのかもしれない。
両親が離婚した時期でもあったから。
生徒の家庭事情には口を挟めない。
他者の心のケアをすることは危険なことでもあるし、自分の手に負える範囲を超えていると判断したのかもしれない。
先生がなにを思って、どう判断したのかは分からない。
でも、先生が真剣に考えてくれたことだけは痛いほど分かる。
「あなたの頑張りを見守っている」というメッセージをくれる人は案外少ない。
家庭という閉鎖された環境で逆境に耐える子供というのは、自分で乗り越えていく力がどうしても必要になる。
そこに見守ってくれている人がいるならば、いないよりも遥かに心強い。
すごくいい先生だった。
お元気だろうか。