2024を生きた証
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このNoteは
今を大切にする生き方に魅了され
国を転々とする大学生が
成長する過程の実録です
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2024年を振り返ると、愛しいカンボジアの思い出が溢れてくる。既に頭の中は2025年のやりたいこともいっぱい。
2024年の学
①自分自身、今という瞬間、距離の近いモノコトを大切にする
カンボジアでは、目の前の状況がコロコロ変わる状況にあった。法も、人も、関係性も、経済も。そして日本に帰って、あの当たり前だっためまぐるしいカンボジアの日常が無くなった。
変化の連続を生き抜いて考えたことは、今私が居るこの状況ってすごく特別だっていうこと。カンボジアには2回渡航したけど、全く違うことを感じた。1回目の入国(2023年6月下旬)は、知らない国、右も左も、前すら分からない状態、そんな種類のワクワク。そこから13か月滞在した。そして2回目の入国(2024年11月下旬)は、ここに行きたい!あそこに行きたい!あの人に会いたい!その人と過ごしたい!そんな種類のワクワク。
同じ場所、同じ時間、同じ感情、は二度と同じにならない。当たり前だけど日本にいたらそんなこと考えないし、考える必要もない。逆に、毎日が同じ時間で退屈(いや、退屈だとさえ感じないほど変化のない日常が当たり前)であったかもしれない。10年後20年後50年後の不確実な未来をより確実にするために、現在という時間を犠牲にしていた。少なくとも2021年までの私はそうだった。
今の自分の頭の中って、今の自分にしか表現できない。後から、あの時の自分ってこういう状況だったからこういう考え方してたのか!とかってのは、その時の自分の頭の中が書き起こしてあって、それを見るから出てくる思考だと思う。私は不器用だから、今の自分を今、客観視することは、まだできない(笑)。
「他人と過去は変えられないが、自分と未来は変えられる」この言葉の意味を本当に理解できたのも、今年だったと思う。中学の卒業式の時に、学年主任がくれた言葉。その時はフーンくらいだったけど、今となっては自分自身を軌道修正するための基準となるような言葉。今年は、自分とか、家族とか、現在とか、距離の近いモノ、目の前のコト、に目を向ける機会になった。
②Mouy-Mouy
カンボジアにいた時、仲のいい友達にたくさん言われた思い出の言葉。私は自分の頭で高速で考えて、とんでもない思考の方向になることが多々ある。早とちり。それを頭では分かってはいるんだけど、いつもやっちゃうのが私だった。日本で過ごしているときは、友達が「あ、そうじゃなくて~、」って言ってくれてた。カンボジアでも同じ状況(笑)。
カンボジアの人とは英語で話すから、こういう私の早とちりが起きた時、私が理解できていないと思って「I mean ~」て言い回しを変えて言い直してくれる。でも仲のいい友達は、私が早とちりしているのを汲んでくれて、もう一回よく考えろ!って意味でThink Think Thinkだったり、一個ずつ一歩ずつ考えろ!って意味でOne by One, Step by Stepって、愛情込めて言ってくれる。クメール語で1を表すMouy(モイ)を使った表現で、Mouy-Mouy とも声をかけてくれた。
この Mouy-Mouy は私にとってすごく特別な言葉になった。早とちりしちゃってる時とか、緊張している時とか、怖くなった時とか、寂しくなった時とか、そういうネガティブになった時、自分で自分に唱える魔法の言葉。この言葉で、いつも落ち着いて、冷静になれる。
自分が今まで見逃していたこととか、見て見ぬふりをしていたことが、浮き彫りになった年だった。後回しにし続けたことに、今年気づけて良かった。今から、意識して少しずつ、変えていこう。
2025年の軸
①目の前の好機を捕まえて、それに従って生きる事。
私が長年生きていた社会では、長期的な目標を定める事が当たり前とされていて、その未来の目標に向かって今を削りながら、苦しい時も諦めないで続ける、が主流だった。最初は ”今を削っている” っていう感覚があるけど、長く我慢しているとそんなことも忘れて、知らぬ間に誰かの駒になっている。未来のために今を削っているのに、未来が不安で仕方がない、そんな社会だった。
それがまかり通っていない社会に身を置いてみて、今を大切にすること、それが未来への希望になる、ということを知った。それが "目の前の好機を捕まえる" ということ。その好機が未来の理想や目標に一直線じゃなくても、その好機に従うこと。種(好機を経て得たもの)を色んな畑(社会)にまいておく。未来は未来にならなきゃ分からないから、未来に行ったらその種を使うときが来るかも、来ないかも、しれない。それが未来への希望、ワクワクにつながる社会なんだと思う。
確実な未来なんて一つもない。明日、地球の中のマグマが、100万年に一度の大活性を起こして、地球が無くなっちゃうかもしれない(笑)
不確実な未来を、不安とみるか、希望とみるか、その見方によって "目の前の好機" に気づけるか、はたまたスルーしちゃうのか、変わってくると思う。私は、その好機を拾いたいし、存分に振り回されたい。
②計画的に、分析的に、頑張ること。
私は今まで、正直結構がむしゃらに色々やっていた。気合!度胸!みたいな。やってみる!おりゃぁぁぁぁぁあ!できなかった!違うのやってみよう!おりゃぁぁぁぁぁあ!おっしゃ行けた!で、何で出来たんだろう?
そのやり方は、楽だし、好きだけど、結果が出た時と出なかった時、反省点がない、応用が利かない。
だから今年は、何か目標のために、調べて、やってみて、調べて、分析して、変えて、やってみて、調べて、分析して、変えて、を繰り返したいと思う。
不確実な未来に対する柔軟な思考と、目標を達成するための計画性、この一見両極端に見えるものを軸としてバランスよく保つことを軸において、2025年は歩き出そうと思う。
最後に
これは、カンボジアのインターン先企業の創業者Yasuさんに言われた言葉で印象に残っているもの。中学の時の武勇伝を毎年話し続けるサラリーマンの同級生とは裏腹に、毎年何かしらのUpdateを持っている。その年その年が波乱万丈のカンボジア企業は、毎年同じことで笑いあうより、面白いと言っていた。
3年前、2020年から2021年になる時は、日本にいて、コロナ禍ではあったけど親戚みんなで集まってすき焼きをした。それから2回の年越しはそれぞれフィジー、カンボジア。3年後の今、また親戚で集まってすき焼きをする。けど、2021年の瀬を迎えた自分は、今の自分を1mmたりとも想像していなかった。というか想像できなかった、だけかもしれない。
今から3年後、2027の年の瀬、今想像できる範囲の私は、卒論を書き終わった自分。どこかの村に入って、文化人類学的なことを書いたかな、と思う。フィジーかな?カンボジアかな?他の国かな?日本かな?お世話になったその村で年を越しているかも。もしその村に、年越し、New Year、という概念が無かったら?日本風の過ごし方はこうなんだよ~って、言ってるかも?
未来の予測って楽しい!だって何考えてもいいから(笑)。正解がないこの先、道を作るのは自分だから。一歩ずつしか進めない、けどチリが積もった3年後、どうなるんだろう。今の自分からは想像もつかない世界が広がっているかもしれない。だから私はMouy-Mouy!その一歩が未来を作るから!
ということで、今年2024年もお世話になりました。
また来年2025年も、どうぞよろしくお願いします。