「生活工学」とは?
本田宗一郎氏は、昭和中期にヨーロッパに市場視察に出かけられました。その課題は、「原付自転車の次の新商品開発」でした。ヨーロッパには当時、本田氏の開発した原付自転車よりも高性能の、スクーターやモペットというカテゴリーがありました。経営パートナーの藤沢武夫氏と共にその状況を見に行こうと。しかしそこでヨーロッパの先進的な交通事情を目の当たりにした本田氏は気づきます。「日本の悪路はこのようにスイスイとは走れない。もっと悪路を走れる性能が必要だ。」と。そこで、それまで世界のどこにもなかったコンセプトの「スーパーカブ」を開発します。スーパーカブは今も世界中で、特に当時の日本と同様の道路事情の発展途上国で使われています。
本田氏を「わが友」と呼んだ盛田昭夫氏は、経営パートナーの井深大氏が「出張に行く飛行機の中で音楽が聴けるものを作ってほしい」と言ったという話を聞いたあと、自分の息子が車にカーステレオをつけ、ラジカセを担いで外出する姿を見ました。それで「どこでも好きな音楽が聴きたい」というニーズがあることに気づき、ウォークマンを開発しました。ウォークマンは昭和の日本を代表する成功商品となりました。
盛田氏を師匠と仰いだスティーブ・ジョブズ氏は、ウォークマンで聞くためのカセットテープやCDを多数持ち歩いている若者や、ネットで音楽データがやり取りされるようになってきたのを見て、好きな音楽データをダウンロードして聴けるiPodを開発し、iPodと携帯電話がセットで持ち歩かれている様子を見てiPhoneを開発しました。それは現在我々が目にしている通りの状況になっています。
この三人に共通しているのは「画期的新商品を開発した」ということです。しかしそれは表面的なことであって、実は他にも共通点があります。
それは、「商品を見ていたのではなくて、生活を見ていた」ということです。その中には原付やスクーターやラジカセやCDはありますが、しかし、それ自体をこの人たちは見ていたわけではなく、それら商品の使い方を含めた消費者の「生活」に視点があったわけです。
もし彼らが「商品」を見ていたとしたら、「より馬力の強いスクーター」とか、「より小型のラジカセ」を発想したでしょうが、それでは画期的な商品とはならなかったわけです。先行している会社の方がより優れた商品を開発できるからです。
この「生活を見て商品開発をする」観点を「生活工学的観点」と言います。「商品をみて商品開発をする」観点は「人間工学的観点」と言います。
人間工学的観点は生物としての「ヒト」と「モノ」の関係を捉えて商品開発を行う観点であり、生活工学的観点は社会的存在である人間や他の商品を内在する「生活」と「商品」の関係を捉えて消費開発を行う観点です。生活工学的観点は人間工学的観点を包含します。
人間工学的観点で商品開発をするということは、要は、すでにある商品に着眼しているわけですから、その商品の改良になるわけです。一方、生活工学的観点では生活に着眼するわけですから、
①今までのなにかしらの問題のある生活を変える
②変わった生活で生じた問題に対応する
という考え方での商品開発になります。既存の商品が対応できていないからそのような問題が生じているわけなので、この観点で商品開発をすると画期的な新商品となります。
いわゆる「生活を変える」商品になるわけです。
生活工学的観点による商品開発が提唱されたのは1972年でした(「小嶋、梅澤、佐藤、1972、「商品開発のための消費者研究」、日科技連」)。この時点ですでにこの考え方が日本にあったことには驚嘆せざるを得ないのですが、「高度成長は終わった」と言われた時期からさらに日本経済が成長するために、先人が知恵を絞ってたどり着いた考え方であったわけです。しかしながら、「生活」というもののとらえどころの無さからか、その考え方は普及することなく今日に至っています。
しかし、日本経済が行き詰っている現在、この考え方でのマーケティングに再び脚光を当てる時期が来ているのではないかと私は思います。
下図は筆者が小嶋らを参考にしながら人間工学と生活工学の概念をモデル化したものです。