おじさんのハミ出し
若い頃、人は少々のハミ出しなど気にも留めない。
公共の場での大きな会話や、雑踏での突然のTikTok撮影、交通機関での無頓着な荷物の扱い、珍妙なファッション、店員への横柄な態度など様々なふるまいを「そういう時期なのね」と軽く受け流している。成長過程にある若者に対し、社会は許容範囲を大きめに設定している。しかしこれがおじさんになると、そのハミ出しは突然社会的な異物として浮き上がりその存在を必要以上に際立たせる。この歳になって初めて、おじさんのハミ出しがどんな意味を持つのかを知った。世のおじさんたちは、こんな世界を生きているのか。。なんてことだ。。。
若者のはみ出しが「成長過程」として包み込まれる一方で、おじさんのそれは「異常」として鋭く切り取られる。どちらが正しいとか間違っているとかではなくて、歳を重ねるということは自分の行動の意味が自分を越えて他者の中に勝手に形成されていく、そんな不条理を静かに受け入れることなのだ。自分が持っているべき「普通」と、それを持てなかった自分との間の溝をどう扱うべきか逡巡してしまう、そんな秋。