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中国のネット検閲に感じる「中国らしさ」の話

こんな記事を読みました。

「中国のネット検閲のリアル」をテーマにした、大変興味深い記事でした。AIによるディストピア的監視社会をイメージされがちな中国ですが、その検閲の実態は泥臭く、人の手による部分がかなり大きい、ということが描かれています。

中国におけるコンテンツの規制は、国が一律に基準を定めてやっているものではなく、各プラットフォームが人を雇って実施しています。つまり各企業の自主規制のために膨大な人数が雇われ、検閲に従事しているということです。

政治的なものに限らず、暴力的なコンテンツやポルノなど、コンテンツについて「何がNGか」という判定をデジタルで(つまりは0か1かで)行うことは難しい。だからこそ人力が必要になります。

テキストならば「NGワード」を設定しておくことである程度は対応できるでしょうが、直接的な表現だけをフィルタリングすればいいというものでもないでしょう。あえて日本語で喩えるなら、「死ね」をフィルタリングしても「氏ね」で代用できてしまうなら、あまり意味はないということです。

かといって、じゃあ「氏ね」も規制しよう……としても、いたちごっこになるだけです。その他にもメタファーや隠語のようなものもあるでしょうし、単にAIにデータを飲ませてあとは自動化、という対応はできません。また上の記事でも触れられていますが、多言語となるともう対応しきれなくなります。

ましてや、音声や動画となるとおそらくAIにできることはもっと少なくなるでしょう。数を絞るフィルタリングくらいはできても、最終的には人が実際にそれを見て(聞いて)、アナログに判断を下すしかありません。

それを日々無数にアップロードされるコンテンツについて行うのですから、とてつもないコストですが、逆に放っておくと無法地帯になるのは目に見えています。よからぬものが投稿され、プラットフォームごと上からお叱りを受けてお取り潰し、なんてことになるリスクは計り知れません。各社による検閲は、中国における「コンプライアンス」として必要なわけです。

ちょうど今朝、松井博さんによる自動化ロボットに関する記事を読んだのですが、AIやロボットが人類の仕事を奪うかも……ということが現実味を帯びてきている現代において、いま人間がAIに勝てる仕事のひとつに「ネットの検閲」があるとは、まったく悪い冗談のようにも聞こえます。ディストピア以上にディストピア的です。

現実はいつだって、我々の想像の上を行くものですね。

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また、これも上の記事で少し触れられていることですが、現在中国のSNSやWeChatのモーメンツ(LINEのタイムラインに相当)、個人ブログなどには、感染対策によって引き起こされた窮状への訴えや、政府部門の不手際を告発するようなものが投稿されては、ある時それが突然削除されるということが頻繁に起こっています。

今回こういった動きが目立っているのは、もちろん起こっている事の重大さや規模の問題もあるのでしょうが、上海はそもそもITリテラシーの高い人が多く住んでいるために投稿される量が多いうえに、コロナによるロックダウンとそれに伴う人災的な困難という比較的新しい事象に対して検閲の判断基準が定まっておらず(つまり機械的に判断ができる部分が少ないため)、人海戦術による検閲が追いつかないということもあるのだと思います。

逆にいうと、ここまでの規模にならなければ庶民の目に見える形で検閲が現れてこないということであり、つまり普段は小規模の出来事に対する検閲が有効に機能している、ということでもあります。中国に暮らしていて検閲の存在を意識することは普段はそれほどありませんが、こういうことが起こると「やっぱりいろんなものがバンバン消されてるんだな」と思い直します。

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いま「検閲の存在を意識することは普段はそれほどない」と書いたばかりですが、そういえば僕にも検閲の存在を感じさせる出来事を見聞きした経験があります。

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